カナダ人が将来 住みたい憧れの町 ケロウナで・・・
疲れた心を癒しませんか・・・
これから先の人生に必要なヒントとエネルギーが必ず得られるはずです

  
  
  

滝澤のカナダ移住&起業への道のり

 <第51話> そのカナダ人との出会い
1992年6月上旬。私と妹のカナダ珍道中は目的地であるケロウナに無事、到着することができました。長距離用のバスターミナルから、タクシーでダウンタウンに向かいました。懐かしく、そして見慣れたケロウナのダウンタウン。初夏のケロウナは夜9時を廻っても、まだ空に明るさが充分に残っていました。1年前に仕事をさせてもらった「にし屋」というレストランの裏口から中にはいると、懐かしい顔が揃っていました。その雰囲気、明るさは以前と全く変わっていませんでした。

私をカジノの世界に導いてくれた料理長の安座間さんも元気そうで、「おお!待っていたよぅ〜。元気だったかぁ?」 と早速、私に握手を求めて来ました。一緒に働いていたカナダ人の若いスタッフたちも変わらない笑顔で私たちを迎えてくれたのです。

「みんな優しくて良い人たちだねえ。」 日頃、営業畑でいろいろなお客さんと遭遇している妹には、いつの間にか瞬時に人の雰囲気を察知する能力が備わっていたようです。妹は妹なりに観察していたのでしょう。厨房の奥にあるオフィスから、ビクターが顔を出しました。「今から面接するから、ちょっと待っていて。もうすぐ彼が来るから。」

そうです、私の今回の一番の目的は、日本へ連れてくるカナダ人の面接でした。ワーキングホリデーのビザを取って、1年間の日本滞在と私の仕事の補助をしてもらうことができるカナダ人男性を捜しに来たのです。ビクターが探したあてたカナダ人ですから、身元もしっかりしているでしょうし、あとは個人的なこと、性格や雰囲気というものだけを私が判断すれば良いだけでした。どんな人なのだろう? 私は興味津々でその彼の登場を待ちわびました。

20分ほど経過した時、不意に背の高い細身の白人が現れました。「アンドリューです。彼が長野に行きたいと言ったので、彼を紹介します。」ビクターがぎこちなく私にアンドリューを紹介してくれました。
195cmという長身のアンドリュー青年は19歳でした。緊張しているのか、彼の表情に笑顔はありませんでした。いや、笑顔というよりも表情に明るさが無いのです。暗く落ち込んだような、どこか寂しい雰囲気に包まれていました。私は時間が経過するに従って、違和感を覚えました。彼にとっては、住む場所も、仕事も最低限の収入も保証された上での日本行きですから、基本的な不安材料は全て無くしてありましたから、もっと喜んで貰えると思っていたからです。ところが彼の表情には喜びの欠片もありません。しかし、今回の話に対して興味が無いという感じでもありませんでした。そのギャップに私は違和感を覚えたのです。

「彼を採用して日本に連れて行くべきかどうか?」 私は急に不安になり、今回の話の発端を、もう一度整理してみました。カナダ人を長野へ連れて行く。私の実家に寝泊まりさせて、私の仕事の補助をしてもらう。つまり、1年間のほとんどを私と一緒に行動する。彼は日本語がしゃべれませんし、もちろん日本へ行くことすら初めてのことです。生活から仕事から、その他に渡る全てのことを、私が付きっきりで教えていかなければなりません。親や姉妹よりも一緒に過ごす時間が長くなることは間違いありません。と言うことは、彼が私を信用してくれるか?ということ同時に、私も彼を好きになれるか?ということが重要だったのです。彼を嫌いになる理由はありませんが、彼の暗く沈んだ表情だけが気がかりでなりませんでした。

にし屋の厨房でアルバイトをしているカナダ人青年たちの中には、明るく雰囲気の良い者がたくさんいましたから、私は無意識のうちに、彼らのような明るく元気なイメージを求めていたのでしょう。しかし、目の前にいるアンドリュー青年は、厨房でアルバイトをしている彼らとは正反対の顔付きだったのです。
「困ったな・・・」 私は決断を躊躇しながら、彼の表情を観察してました。




 <第52話> 彼は私の手を強く握りしめた
1992年6月上旬。ビクターニシが経営するレストランの事務所で日本行きを希望するカナダ人青年アンドリューと私は無言のまま向かい合っていました。彼のどことなく寂しげな表情に、私は言葉を発することができませんでした。その彼も、相変わらず無口のまま、沈黙を保っていました。

いずれにしても、結論を出さなければなりません。彼を私の故郷の長野へ連れて行くかどうかを。連れて行くとなれば、そこから1年間は責任をもって面倒をみなければなりません。私は改めて、今回の話の重要性に気が付きました。見方によれば、彼の人生の大切な時間を価値あるものにしてあげられるかもしれませんし、その反対の可能性もあるわけです。

「困ったな・・・」 私は小声でつぶやいたものの、そのつぶやきの意味を彼が理解できるわけはありませんでした。しかし、私の表情が優れないことを察知したのか、アンドリュー青年が突然、言葉を発しました。

「僕ではダメですか?」 真剣な表情でした。
「いや、ダメではないけれど・・・」 私はその後の言葉がでませんでした。
「君はどうして日本へ行きたいと思ったの?」 私は意を決して、自分自身の不安な気持ちを、彼にぶつけてみました。

「僕は・・・ 僕は大学へ行こうと思ったけれど止めました。今のままの気持ちでは大学へ行っても意味が無いと思ったからです。」
「なぜ、大学へ行かなかったの?」
「昨年、母が亡くなりました。まだ元気だったのに、突然の病死でした。それ以来、僕は何もかもやる気がなくなってしまったのです。でも、このままじゃだめだと思います。何かを変えないと。自分自身の何かを変えないと。そんな時、父とつき合いの深いビクターさんから、日本行きの話を聞かされ、もしかしたら、僕が変わるチャンスなのかもしれないと思ったのです。」

彼の寂しそうな表情の意味が、私はようやく理解できました。同時に、決して軽はずみな気持ちで日本へ行くわけではないという頑なな彼の心中を察すると、もしかしたら、私が求めていた一番最適なカナダ人青年が、今、目の前にいるアンドリューなのかもしれないと感じました。

私の迷いは、いつの間にか消えていました。
「OKだ。それじゃ長野においで。君を歓迎するよ。」 私はこのとき、初めて彼に笑顔を見せてあげられたと思います。
「こちらこそ、どうぞ宜しくお願いします。」 彼は日本人のように深々と頭を下げ、長い手を差し出してきました。私はその手を強く握り、「準備ができたら、すぐに長野においで。待っています。」と伝えました。
これが、私とアンドリューの出会いだったのです。




 <第53話> 久しぶりのケロウナをエンジョイする
1992年6月上旬。ビクターニシが紹介してくれたカナダ人青年のアンドリュー君を長野で面倒を見ることが決まり、今回のカナダ滞在目的は果たされました。本当にカナダ人青年を長野で受け入れることが可能なのだろうか?ともう一度考えてみました。よくあるホームステイとは訳が違います。1年という長期に及びますし、日中は私の仕事の補助をしてもらうので、仕事内容も覚えてもらわなければなりません。もちろん、私はあらゆる手段を尽くして、彼が充実した日本での生活を続けられるようにしなければなりません。これは責任重大だ、と私は改めて感じ入っていました。

翌日から、私と妹はケロウナの町を散策し、初夏の日差しのケロウナの空気を存分に楽しんだのです。ちょうど妹もゴルフを始めたばかりだったので、早朝からビクターやレストランのスタッフたちと一緒にゴルフに出かけ、本格的なカナダの大自然の中でゴルフを楽しみました。

私以上に妹の喜びようと言ったらありません。日頃、激しい販売競争の中で血眼になる日々を送っているだけに、清々しく解放された気分をケロウナという町で味わったことが、何より楽しかったようです。お昼過ぎにはホールアウトした私と妹は、休む間もなく着替えを済ませ、そのまま、ビクターニシのレストランへ直行しました。夕方5時前から、スタッフミールと言って従業員用の夕食がはじまるからです。
「スタッフミールで良ければみんなで一緒に食べよう」そいう言ってくれたビクターの心遣いに甘えながら、私と妹は毎日、レストランのスタッフたちと一緒に和気藹々の夕食時間を楽しんだのです。

夕食が終了すると、レストランのオープンです。予約客ですぐに席が一杯になっていきます。ビクターをはじめ、スタッフはそれぞれの持ち場につきます。
「ごちそうさま!それじゃ!」と言って帰るわけにはいきません。タダ飯食らって平気な性分じゃありませんから、そのまま厨房の奥の食洗器を操作しながら、私と妹は皿洗いを続けるのでした。もっとも、勝手を知らない人間が厨房の中にうろうろしていても邪魔なだけですが、私はつい1年前までは、ここで働いていたので、仕事の内容は熟知していました。妹は素直に私の指示に従いながら、洗い終えた皿やグラスを所定の場所に運んでいきました。

4時間あまりの楽しい労働時間が終了すると、閉店後の食事会をビクターと中心的なスタッフ数名が毎晩のように演出してくれました。ダウンタウンにあるカフェバーやレストランバーへ案内してくれ、そこで再び乾杯し、食事を共にするのでした。そして再び早朝からゴルフ、夕方からレストランで食事、その後に皿洗い、その後の乾杯まで、私と妹の1日はとてつもなく長く続くのでした。




 <第54話> 眠り続けたままの帰国
1992年6月上旬。私と妹の4泊のケロウナ滞在は瞬く間に最終日を迎えることとなりました。現地4泊の短い日数でしたから、寝る間を惜しむように、1日24時間を徹底的に楽しみました。1日の睡眠時間は、3時間〜4時間程度だったと思います。元来、体力には自信があった私のペースに振り回されるように、妹も全く同じペースでケロウナの日々を楽しんでいました。しかし、最終日の朝を迎えると、さすがに疲れが噴き出したのか、妹は疲労困憊のまま、やっとの思いでベッドから起きあがり、疲れ切った体を引きずるように、わずかな荷物の整理をはじめたのです。

私と妹は、早朝の長距離バスでケロウナからバンクーバーに向かい、慌ただしく国際線ゲートに進み、成田行きの機内に滑り込みました。最初からハードなスケジュールでありながら、最終日のバンクーバーへの移動を、国内線飛行機を使わずに長距離バスにしたことも影響したのか、成田行きの飛行機に乗り込み、座席に座った瞬間、私は眠りについてしまいました。

成田までの予定運行時間は10時間ほどでした。何かの軽い衝撃で目が覚めた時には、すでに成田の滑走路に機体が降り立った後でした。「あれ?もう着いたのか?」 感覚としては、1時間ほど眠ったかのように思った私でしたが、バンクーバーから成田まで、全く起きることなく眠り続けていたようです。従って機内食も一切口にしませんでした。

機体はゆっくりとゲードに向かって進んでいました。ふと、隣に座っている妹を見ると、まだ寝ていました。「おい、起きろ。着いたぞ。」と私が妹を揺り起こすと、妹も同様に「あれ?もうついたの?こんなに早く着くんだねえ。」と何とも間の抜けた言葉を発しました。ケロウナで活動を続けた4日間は、ほとんど寝ていなかったのですから無理もありません。ただ、私は私なりに、ケロウナを徹底して楽しみたかっただけですし、妹もまた、妹なりに日頃の激務を忘れた非日常を精一杯楽しみたかっただけだったのでしょう。

たった4日の短い期間でありながら、多くの人たちに囲まれ、新しい出会いに恵まれ、こんなにも充実した海外での4日間というのは、そうそうあるものではありません。今回、無理してケロウナに行って、本当に良かったと思いました。そして、そのケロウナとの繋がりを保つために、数ヶ月後には、あのアンドリュー君が来日します。




 <第55話> アンドリュー君の来日
1992年10月下旬。私は成田空港の到着口で彼を待っていました。この日、カナダからの飛行機に乗り、アンドリュー君がやって来るため、私は彼を迎えるために成田空港に赴いていました。ほぼ予定通りの到着時刻から30分ほどで、彼は195cmの細身の長身で姿を現したのです。大きく手を振る私に気が付いた彼は、照れ笑いを浮かべながら、ゆっくり私の方向に近づいてきました。

「ここから東京のダウンタウンまで何分ですか?」 という彼の問いに、「電車で1時間だよ。」 と答えた私の顔を見て、「冗談でしょ?」 という表情を浮かべていたアンドリューでしたが、ほどなくして、それが冗談ではないことを察知したのか、大きな体を曲げるように疲れた顔付きに変わりました。

外国からはじめて日本にやって来る外国人にとって、成田空港から東京都内への移動は大変困難であり、そして面倒なものです。また世界の主要都市の空港としては、市街地までの距離、時間が長く、移動コストが最も高いという悪評を得ているほどですから、アンドリューが驚いたのも無理はありません。

はじめての日本。カナダ人の若者が一度は行ってみたいと憧れる東京。そこにたどり着いた興奮と疲労が交錯しながらも、車窓に流れる夜景を食い入るように見つめていた彼の姿がとても印象的でした。流れる夜景は、首都東京に近づくにつれ、無防備なほどに入り乱れたカクテル光線のような灯を車窓一杯に映しだしていました。

「すごい・・・ これがTOKYOかぁ・・・」
のどかなカナダの田舎から、大都市東京にやってきたカナダ人青年の目に、東京の夜の灯は、相当に刺激的だったに違いありません。

「今日は東京に泊まるので、長野には明日の夜、到着することになるよ。」
「・・・わかりました。ありがとう。」

長身に似合わず、慎重な小声でつぶやくと、彼は飽きもせずTOKYOの灯を目に焼き付ける作業を再開したのです。浅草のビジネスホテルに到着したのは、夜7時を過ぎたころでした。ホテルのレストランで適当な夕食を済ませ、私とアンドリューはそれぞれの部屋に戻りました。初めての日本、そして初めての夜ですから、彼の好きなビールをたくさん飲ませてあげようと思ったのですが、そうとう疲れている様子でしたから、早めに部屋に帰すことにしました。

長野に行けば、おそらく色々な歓迎行事が待っているでしょうから、彼の好きなビールもたくさん飲めることでしょう。さあ、彼の日本滞在期間は、今日から丸1年です。彼にとってどんな日本を体験できるのでしょうか。そして私はどんな光景を見ることができるのでしょう?




 <第56話> 幕張メッセに連れて行く
1992年10月下旬。アンドリューを迎えるために長野から成田空港に赴いた私は、その日、都内で1泊しました。彼も一緒でした。翌朝、私はアンドリューを連れ、千葉の幕張メッセに向かいました。
毎年この時期は、来春の新製品の発表会を兼ねた展示受注会があります。スポーツ用品メーカー各社が、広い幕張メッセの会場にブースを設置し、取引先のデパート、量販店、小売店、専門店のバイヤーを招待するのです。

私は家業のスポーツ用品販売会社に跡取り見習いとして入社したものの、まだ半年も経過していませんでしたから、商品仕入れの権限などありません。アンドリューを迎えに行ったついでに、彼に我々が働く業界の一端を見せてあげようと思っただけでした。カナダのような、広大な国土を持つ国で育った彼の予備知識の中には、
「日本は小さい国」という印象があったことでしょうけれど、幕張メッセの外観と会場内を見渡した彼は、ただただ驚きの声を上げ続けていました。

会場に溢れんばかりの人の波と、未だバブルの余韻から覚めやらぬかに思える派手な演出の数々は、アンドリューに異国の刺激を存分に与えたかのようでした。昨日、成田空港で見せた疲れ切った表情とは裏腹に、頬が紅潮し、忙しい潜水艦の潜望鏡のように、彼の首は右、左、右、左、と止まることなく動き続けていました。

「これが僕が働く業界なんだ・・・」
「そうだよ、君はこういう業界で働くんだよ。」
「僕はスポーツは大好きです! 一番好きなのはバスケットボールとアイスホッケーです! でも日本はアイスホッケーが盛んじゃないと聞きました。」
「そうだねえ、アイスホッケーはマイナーだね。」
「バスケットボールはどうですか?」
「バスケットボールは人気があるよ。」
「本当ですか! それは良かった! 僕はこの業界で仕事ができることをとても幸せに思っています。どうぞ宜しくお願いします。」

そう言うと、誰に習ったのか、195cmの長身を直角に折り曲げ、ぎこちない日本式のお辞儀を私に向かってしたものですから、彼の頭が天井から落ちてくるようで、何とも面白く、私は笑ってしまいました。

「??? 何か変ですか? これ、日本人のあいさつのスタイルですよね?」
「ああ、そうだよ(笑)。それで良いよ。君がそうやってお辞儀をすれば、日本の人達とすぐ仲良くなれるよ。」
「でも、あなた笑ったじゃないですか? 何がおかしいのですか?」
几帳面で真面目な性格の彼は、まだ納得できないようでしたが、
「いやいや、何でもないよ。ごめん、ごめん。」と私は軽く受け流しました。

丸一日かけて、広い会場内の隅々まで探索した彼は、日本の初日を満足したようです。そして、このスポーツ業界で働くことに対して、私が思っていた以上の興味を持ち、やる気を沸き立たせてくれたことは、私にとって大きな収穫です。彼にとって日本で過ごす1年は、生涯忘れられない貴重な体験になって欲しいと願うと同時に、その1年間を一緒に過ごす私も、これから始まる新しい生活に対して、楽しみがこみ上げてくるかのようでした。




 <第57話> 僕は長野が大好きです!
1992年10月下旬。私とアンドリューは、東京を発ち、長野に向かいました。当時は、まだ長野新幹線がなかったので、信越線の在来特急で、長野まで、3時間の列車の旅となりました。巨大なメトロタウン東京を離れていくごとに、風景は田舎の様相に変わっていきました。もはや、都会的な風景が無くなったころ、当たりは山間部に覆われていきました。彼は、飽きることなく車窓から外を眺め続けていました。列車が長野県に入ったあたりで、

「ここから、長野県になるんだよ。」 私はそう彼に伝えました。
「ここが長野県ですか。う〜ん、とてもカントリーな感じですね。」

東京も長野も、彼にとってははじめて体験する日本です。何もかも新鮮であり、目に飛び込む景色は、そのまま感動になったようです。東京であれだけ感動していた彼を見たとき、私は少し不安になりました。長野に着いた途端に、

「やっぱり、僕は東京が気に入ったので、東京に行きます。」 と言わないだろうか? ケロウナと長野は、都市の規模としては、良く似ていますから、彼はむしろ東京に興味を示すのでは?と思ったのです。しかし、私の不安は杞憂に変わりました。私たちが乗っていた在来線特急は、軽井沢、小諸、上田、と順番通りに停車をし、やがて私の実家のある駅が近づいてきました。戸倉という駅で下車した私たちは、次の各駅停車に乗り換え、一駅先の屋代という駅に向かうため、ホームに佇んでいました。

やがて、各駅停車の車両が駅のホームに滑り込んできました。ちょうど、夕方の時間帯だったため、列車の中は、帰宅する高校生たちで溢れていました。まだ、このあたりの田舎では、長身で青い目の白人は珍しかった時代です。2メートルちかくある細身の白人が、車両に乗り込んできたのですから、田舎の高校生達の注目を一瞬にして集めることになりました。

「どうして、みんなが僕を見ているのですか? 僕は何か変ですか?」
「違うよ。みんな君に興味があって、友達になりたいと思っているからさ。」

私は、苦し紛れにこのような返答をしました。素直な彼は、それを受けて、覚えたての日本語で、彼を見る高校生達に向かい、

「コンニチワ! 僕の名前はアンドリューで〜す。」 と一声を放ちました。

一瞬、静まりかえり、次の瞬間、車内は女子高校生たちの黄色い笑い声でこだましたのです。

「長野はいいところですね。僕は長野が好きですよ。」

女子高校生たちの歓迎?を受けた彼には、長野県の印象が良いものに感じられたようです。




 <第58話> 本当に来たんだね
1992年10月下旬。実家に到着した私は、アンドリューを居間に案内しました。普段と変わらない夜の一時を過ごしていた母は、私の後ろに巨大な人影があることに気づいたようです。

「連れてきたよ。彼がアンドリューだよ。」 母は、怖々とアンドリューを見上げました。
「ハジメマシテ。ボ、ボ、ボ、僕はアンドリューでーす。」
「あんた、本当に来たんだねえ。良く来たねえ。」 

考えてみれば、アンドリューがどういう目的でわが家にホームステイをするのか、私は詳しく両親に説明してませんでした。その当時、毎日、忙しく働く両親や私は、ゆっくり自宅で話会う時間が無かったため、今回のアンドリューの件についても、

「今度、カナダ人の青年をわが家で預かることにしたいけれど、どう?」
「ああ、良いじゃないか。連れておいで。」

この程度だったと思います。私の母にしてみれば、友達が遊びに来る程度だったと思っていたようでした。

「ところで、この背の高いお兄ちゃんは、何日、泊まっていくんだい?」 母が私に尋ねてきました。
「1年だよ。」
「??? 1年? 1年って1年間ってことかい?」
「ああ、そうだよ。」

リンゴの皮を剥いていた母の手が止まりました。母がビックリしたのも無理はありません。考えてみれば、私も随分と勝手だったと思います。また、家族の反対があろうはずがない、という思いこみが強かったのかもしれません。当時、わが家には、自動車ディーラーに勤める妹と、銀行に勤める妹が同居していましたから、年頃の娘二人と白人男性が一緒に暮らすことに母なりの心配があったと思います。母の心配をよそに、妹たちをアンドリューに紹介しました。そして、酔っぱらって帰宅した父が、アンドリューと顔を合わせました。

「お! おおおお! これが、あの、あれ、■△&*%$@ か?」
「ハジメマシテ。私はアンドリューでーす!」
「いやあ、父の ^&#@■×=&% なんですよーっだ!」

わが家でアンドリューを自然体で迎えたのは父だったようです。母が父の横に移動し、「1年も家で預かれるかしら?」と不安気な表情で父に問いかけました。

「1年でも10年でも、いいんでしゅ! やれば出来るさ! %#*%@@!」 そう言うと、父はアンドリューと何度も握手をし、いつの間にか、二人でお酒を飲み始めたのです。父は毎晩のようにお酒を飲む習慣が抜けず、私たち家族は父の体を心配していました。家族が父と一緒にお酒を飲み始めることは、父のために良くない、と判断した私や妹たちは、家で一切、父とお酒を飲むことをしませんでした。

そこに、ビール大好きのカナダ人青年が登場したのですから、父のうれしさは相当なものがあったと思います。父とアンドリューがはじめて出会ったその夜は、男二人で深夜まで飲み明かしていたようです。




 <第59話> アンドリューの目に映った長野
1992年10月下旬。カナダからやって来たアンドリュー青年は、これから長野で1年間を過ごします。しかし、私には不安事がありました。その当時でも、多くのカナダ人の若者がワーキングホリデーのビザを持って、日本にやって来ていました。

大半のカナダ人は、英語学校で雇われ、そこそこの暮らしを楽しんでいましたから、やがてアンドリューも割の良い仕事を求めて、英語学校の仕事をしたいと言い出すのじゃないか? 私はそのように心配していました。彼には私の仕事の補助をしてもらうことと、地域の人たちに触れ合う機会を与えてあげようと考えていました。その当時、私の仕事はスポーツ用品の販売業であり、日中は小学校、中学校、高校を営業先としていました。

田舎の子どもたちの目に、身長が2m近いカナダ人が現れたら、きっとみんなビックリするに違いないと思っていました。それが彼と地域との交流になれば、お互いが刺激を受け、きっとハッピーになるはずです。アンドリューが長野を好きになってもらわなければ困ります。

「ボク、やっぱり東京で英語の先生やりまーす」と言われるのは困るのです。

私は、長野市を中心に松本市方面まで、かなり広範囲に渡って、2日ほど費やし、彼に信州・長野を見せたのです。善光寺や松本城を見たときのアンドリューのビックリした声は今でも忘れられません。

「ナガノは美しいです! ボクはナガノに来て本当に良かったでーす!」

私は安堵しました。少なくとも、彼はナガノに来たことを素直に受け止めている様子でしたし、日本での生活に興味を覚え、溶け込もうという気持ちを抱いているようでした。

「アンドリュー、明日から仕事を始めるよ。いいね。」
「OKでーす! 明日から仕事、ガンバリマース!」

その夜、明日からの出勤に備えて、早めに寝ようとしていたアンドリューを、予想通り父が捕まえ、そのまま二人だけの晩酌パーティーに突入してました。




 <第60話> 人気者になろう!
1992年11月上旬。アンドリューを伴って、私はいつも通りの出勤時間に店に入りました。当時、私の実家は、スポーツ用品店を経営していましたので、まずは主立った商品を一通り彼に説明しました。ちょうど商品アイテムが冬物に切り替わった時期で、これからの季節は、スキー用品の販売が主になるのでした。田舎の運動具屋ですから、地域のなじみのお客さんが、ひっきりなしに店に来られます。黙っていても、190cm以上ある身長のアンドリューが目立たないはずがありません。

長野の田舎で、長身の白人青年は想像以上に目立ったのです。そして、私が度肝を抜かれたのは、彼が接客に熱心だったということです。もちろん、ほんとにカタコトの日本語しかしゃべれませんが、しかし、彼は恥ずかしがることなく、来店するお客さんに、

「コンニチワ! イラッシャーイ!」
と声をかけ続けたのです。いきなり長身の白人青年に声をかけられたお客さんたちは、びっくりしながら、すぐに順応するかのように、日本語で挨拶を交わしてきます。

「あ・・・ ああ、どうも。ここで働いているのですか?」 びっくりしながら問いかけたお客さんに対して、アンドリュー青年は「????」 という表情になり、「ちょっと待ってくださーい」 そう言うと、私を呼びに来るのです。

私がお客さんのところに走り、事情を説明すると、
「へえ! 1年間このお店で働くんですか! そりゃすごい!」
「こんど、家の子どもたちに英語を教えてほしいわ!」
「私たちの学校に遊びに来てちょうだい!」

アンドリュー青年の素朴で真面目な姿は、長野の人たちにすぐ受け入れらたのです。私は、こうなることは全く想像していませんでした。彼は彼で、きっと日本の生活や文化、日本人になれるまで時間がかかると思っていましたし、地域の人たちも、そう簡単には慣れないだろう、と覚悟をしていたのです。

しかし・・・
わずか数日のうちに、地域の人々やなじみのお客さんらと、すっかり意気投合するようになってしまったのは、彼の人柄なのだと思いました。気が付くと、私の心配をよそに、狭い田舎社会の中で、彼はあっという間に人気者になっていったのです。




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