カナダ人が将来 住みたい憧れの町 ケロウナで・・・
疲れた心を癒しませんか・・・
これから先の人生に必要なヒントとエネルギーが必ず得られるはずです

  
  
  

滝澤のカナダ移住&起業への道のり

 <第111話> 日本人で溢れかえるゴールドコーストの町
1998年11月上旬。オーストラリア・ゴールドコースト。
ブリスベン空港から高速道路を走ったバスは、1時間ほどでゴールドコーストの中心部に到着しました。何のトラブルもなく、予定通りホテルにチェックインをした私は、すぐさま部屋を飛び出し、真夏の太陽が照りつけるゴールドコーストの町に出かけました。ゴールドコーストの中心地は、徒歩で十分散策できる程度の面積でしたから、散歩がてら町をブラブラ歩くにはちょうど良い町でした。

海沿いに向かいました。真っ白な砂浜が広がり、風も無いのに結構大きな波が打ち寄せていました。その砂浜からゴールドコーストの町を振り返ると、そこに広がった風景に見覚えがありました。

「ああ、ここか!」
テレビや雑誌でゴールドコーストが紹介されるとき、決まって映し出される風景でした。一直線に走った砂浜が延び、大きな海が広がる割には、町の規模が小さいので、なにかアンバランスな感じを受けたのですが、大きな大陸国家でありながら、人口が少ない国の特徴なのだろうなあ、というのが素直な印象だったのです。

アメリカやカナダでダウンタウンと呼ぶ中心市街地を、オーストラリアではシティと呼びます。私はゴールドコーストのシティをひたすら歩き続けていました。すれ違う人の群れは、ことごとく日本人でした。

ブリスベン空港のロビーで溢れかえっていた日本人は、間違いなくゴールドコーストに入っているのですから、すれ違う人が日本人ばかりになるといこともが点がいきます。ゴールドコーストだけのパック滞在は、最短で3泊4日から各旅行会社が用意していました。私は歩きながら色々なことを考えました。

私が移住をし、起業をするところはカナダのケロウナという町です。そこに日本人のゴルフ目的のお客さんをどれだけ誘致できるのだろうか?というのが課題でした。今、私はゴールドコーストに立ち、多くの日本人観光客を目の当たりにしています。ケロウナとゴールドコーストを比較した場合、その優位性に大きな隔たりがあることを感じずにはいられませんでした。

日本でメジャーな観光都市となっているゴールドコーストと、まったく無名のケロウナ。日本との時差がほとんど無いオーストラリアと、昼夜反対になるカナダ。この違いは、どうしようもなく埋められない深い溝でした。しかも、ゴールドコーストには、日本人ゴルファーを惹きつけるだけのゴルフ環境が整っているということですから、机上の論理ではゴールドコーストに軍配が上がるのは必然の結果だったのです。しかし、私はすでにカナダへの移住を決めていましたし、会社も設立し、カナダの就労ビザも取得していましたから、今さらカナダ移住を諦めるつもりはありませんでした。

日本の大手旅行会社のバスが、私の目の前を何台も通り過ぎていきました。どのバスにも、日本人観光客がぎっしりと詰め込まれていました。これが、ゴールドコーストの実力です。

「う〜ん・・・ ケロウナとゴールドコースト、どっちに行くか? と聞かれれば、普通の日本人なら、知名度があるゴールドコーストを選ぶよなあ・・・」

私はまるで全身で腕組みをしているかのような心境で、シティを歩き続けていました。




 <第112話> ロイヤル・パインズ・リゾートにて
1998年11月上旬。オーストラリア・ゴールドコースト。
比較的、早い時間にベッドから起き出した私は、ホテルのバルコニーで、燦燦と降り注ぐ南半球の朝の日差しを浴びました。

「朝の日差しは気持ちが良いな」
日中の暑さと異なり、早朝の日差しはとても心地が良いのです。

私はゴルフバックを担いで、ホテルからゴルフ場に向かいました。ゴールドコーストの最大のセールスポイントの一つが、ゴルフコースなのですが、それをカバーするかのように、市内のホテルから、主だったゴルフコースには1時間毎に無料の巡回バスが走っているのです。

「1時間に1本とはいえ、無料でホテルからゴルフコースまで送迎してくれるのか・・・」
私はここでも、ゴールドコーストの底力を感じさせられたのでした。私が向かったのは、ゴールドコーストの数あるゴルフコースの中で、代表的なコースでした。ロイヤルパインズ・ゴルフリゾートここを開発し、運営しているのは松下電器の子会社である松下興産です。ゴルフリゾート内に高くそびえるホテルは、プリンスホテルが経営していました。つまり、ここはオーストラリアでありながら、日本の大手企業による開発の代表的な場所でした。

ゴルフリゾートの運営会社には、日本市場を専門に扱った営業部門があり、私は前職のツテをたどって、ここの営業部門に出国前の段階で、すでにアポイントを取っていました。約束の時間に遅れることはできませんから、1時間以上も早く、私はロイヤルパインズに到着したのでした。

広大な敷地に広がる2つのコースとホテル。その風景だけでも圧巻です。単純にスケールという意味においては、カナダよりもオーストラリアの方が巨大に思えてなりませんでした。そんなことを考えながら、ゴルフリゾート内をフラフラしていると、やはりここでも数多くの日本人ゴルフ観光客の姿が目に付きました。いや、目に付くというレベルではありません。周りにいる観光客は全員日本人なのです。ホテルのロビーも、ゴルフコースのクラブハウスも、その奥のレストランも、お客として訪れていたのは、全て日本人だったのです。

オーストラリアが、日本人の海外旅行先として人気が高いことは知っています。その中で、ゴールドコーストは最も人気の高い滞在先だということも知っています。そして、ゴールドコーストはゴルフ観光客の誘致に熱心だ、ということも知っています。全ての初歩的な知識がありながらも、しかし、目の前に広がった光景を見たとき、私は改めてゴールドコーストの凄さを感じたのです。日本企業が運営しているゴルフリゾートですから、日本人観光客が多いという理屈は分かります。しかし、その光景を現実のものとして見てしまうと、脳みそがパニックを起こすのではないか?と心配になるほどの強い衝撃を受けるのです。

ゴールドコーストは、私にとってまるで巨人のように感じられました。こんなにも集客力があるということは、裏返せば、ゴールドコーストと同レベルの環境や施設を揃えていない町でなければ、日本のお客さんは見向きもしないのではないだろうか?と思えてしまったのです。

「こりゃ大変だ・・・ どういう方策を練るか? 考えないと・・・」




 <第113話> そもそものゴールドコースト行きの理由
1998年11月上旬。オーストラリア・ゴールドコースト。
日本の大手企業が開発し、運営しているロイヤルパインズ・ゴルフリゾートが洪水のように日本人観光客を飲み込んでいる風景に圧倒されたまま、私はリゾート内のホテルに向かいました。

このリゾートを日本市場に売り込むための営業部門の方と会うためでした。ホテルのロビーで、その方の名前を告げ、広いロビーのソファに腰を下ろしました。ほどなくして、40代中盤とおぼしき日本人の女性が現れました。

「滝澤さんですね? よくお越しくださいました。どうぞこちらへ」
丁寧に挨拶をされた私は、そのまま別室に案内されたのです。私がゴールドコーストのゴルフ環境を視察することになった経緯は、ある方の薦めによるものでした。長野オリンピックが終了するまで、私は家業に就いていたのですが、父が経営していた会社の最も大きな取引先が、スポーツ用品メーカーのM社でした。

家業の廃業と共に、風来坊同然となった私を、M社の方が随分と心配してくださっていました。また、その方は、私が高校時代からいろいろと目を掛けてくださり、私にとって公私共に良き相談者だったのです。
  
「お前、カナダに移住して何するつもりや?」
「起業するんですよ!サラリーマンになるわけないじゃないですか」
「ふ〜ん。まあ、お前ならやるやろうなあ。で、一体どんなことするんや?」

私がカナダで行うゴルフ関連のビジネスを説明すると、その方は、とにかく一度ゴールドコーストを見た方が良い、というアドバイスをされたのです。そこはやはり、大手企業同士の繋がりで、また、松下興産の親会社である松下電器と日本最大手のスポーツメーカーM社は、共に大阪発祥の企業という仲間意識もあることから、私のような風来坊一人くらい、どうにでもできてしまったのでしょう。

ゴールドコーストで私の面会を担当してくださった営業部門の方たちは、私のことを、M社と関係の深い「とある重要な人物」だと思っていたようです。私は適当にゴルフができるラフな服装でしたし、とても重要人物に思われるような容姿、年齢、態度ではありません。

その時点の私は、夢を追い続けている一人の無職の男に過ぎませんでした。しかし、そんなことをバカ正直に言う必要もありません。M者のあの方は、あの方らしい言い回しで、今回のコンタクトを作って下さったのですから、せっかく作っていただいた舞台を無駄にできません。だとしたら、その舞台で派手に演じてみるのも良いかもしれません。

世の中には実にいろいろなカラクリがあるのでしょうけれど、その人の属性がどの程度のものか?によって、世間の対応が変るということを強く感じました。同時に、明確な立場と実績を作らなければ、世の中に出ても誰も相手にしてくれないんだなあ、ということも知らされたのです。




 <第114話> ゴールドコーストの優秀な女性
1998年11月上旬。オーストラリア・ゴールドコースト。
ロイヤルパインズ・ゴルフリゾートの日本営業部門の方と、さっそくミーティングが始りました。40代半ばの女性の横に、私と同年代と思しき30歳前後の女性が立っていました。

「滝澤さんの担当を致します池内です」
  
海外で仕事をこなす日本人の女性は、非常に優秀です。また、欧米社会の仕事の現場には男女の格差は一切ありません。従って、日本の職場に見られがちな、「女性らしさ」は求められません。仕事に必要ないからです。また、それを求めようとすると、即セクハラ行為と見なされます。日本の緩い職場環境の中で、若い女性社員がお茶を入れてくれることに慣れきった日本人の
オヤジ社員さんたちには、到底、受け入れられない環境が海外にはあるのです。

さて、その池内さんは、まさしく海外で仕事をこなす優秀な日本人女性そのものでした。ニコリとすることもなく、表情は一切変らないまま、ゴールドコーストやロイヤルパインズ・ゴルフリゾートの説明を続けていったのです。その説明には自信がみなぎり、まったく隙を与えず、口に出さないものの、「文句あるなら言ってみろ!」 という威圧感で全身が包まれているようでした。

池内さんが特に力説したポイントは、
・ 年々ゴールドコーストに来る日本人客は増え続けている
・ 今後も右肩上がりの観光産業としての成長が見込める
・ ゴールドコーストが日本市場において最も優位性が高い

という要点で、自信満々に堂々とまとめられていました。

「以上です。何かご質問はありますか?」

当然、質問など無いだろう、と言わんばかりの彼女の表情が、私の一言で変りました。

「あのう〜〜、お聞きしたことがあるのですが・・・」
(何! この私に質問があるのか、この男は!) という表情で私は軽く睨まれました。

「集客数は増えているということですが、客単価や一人当たりの利益は下がっているのではないでしょうか?」
「どういう意味ですか!」
「あっ、いえ、これは日本の旅行業界全体の傾向ですから、ゴールドコーストに限ったことではないと思うのですけれど、大手旅行会社のパックツアーは価格が下がっています」
「それで?」
「一端、価格が下がってしまうと、消費者はそれに慣れてしまいます。旅行業界の今のやり方では、お客さんにとっては都合が良いでしょうけれど、受け入れ側としてはあまり好ましくないのだろうと思うのです」
「・・・・・・(怒)」
「せっかくのゴールドコーストの価値を、旅行会社のパック価格がマイナスに作用していると思ったものですから、旅行会社を頼らない営業手法も必要なのかなあ、と思いました」
「・・・・・・(怒)」

池内さんの表情がさらに強張っていく様子を確認しながら、しかし、私も一度開いた口に蓋はできませんから、そこから一気に論じはじめたのです。




 <第115話> 自論を述べる
1998年11月上旬。オーストラリア・ゴールドコースト。
日本市場専門の営業部門の池内さんの表情は、さらに険しくなっていきました。1991年が日本のバブルが崩壊した年です。しかし、バブルが崩壊して、すぐに景気が悪くなったわけではありません。世間一般的に景気が悪いと感じ始めたのは、1997年だと見るべきでしょう。山一證券、北海道拓殖銀行が破綻し、大手の金融機関ですら、潰れるのか!という、これまで日本人が誰も想像していなかったことが起こり始めたのです。ということは、1996年までは不景気な感じを一般の人は受けていなかったということになります。ところが一部の業界では、すでにその傾向が現れ始めていたのです。ひとつは家電業界で、もうひとつが私の家業だったスポーツ用品業界でした。

この2つの業界には、共通していた点があります。「生産過剰」に陥っていたのです。それにより需給バランスが崩れ、市場在庫が溢れ、価格を下げた売り方が横行するようになりました。今では当たり前の「安売り」、「激安」は、この当時に、家電業界とスポーツ用品業界ですでに現れていたのです。私はそのスポーツ業界で育ってきましたので、価格が下がっていく結果、何が起こるのか?ということを嫌というほど体験していました。そして、それが旅行業界に波及している様子を、1998年のこの時点で私には痛いほど感じられたのでした。

家電業界もスポーツ用品業界も、「売れている、でも利益が無い」という状況でしたから、ゴールドコーストも「客は来ている、でも利益が無い」というように私の目には映っていたのでした。

また、これだけ大掛かりなリゾートを維持していくためには、莫大なお金が必要となります。当然、それを賄うために日本人観光客を集め続けなければなりません。自力では無理ですから、旅行会社とタイアップするしかなく、価格は旅行会社の要求を呑まなければなりません。旅行業界は、受け入れ側よりも、集客する旅行会社の方が立場が上になる特徴があります。

事実、今回、私がゴールドコースト滞在に掛かる費用は、予想していた額よりも遥かに安かったのでした。ホテル代もゴルフ代も、カナダよりも安く、特にホテル代に関しては、信じられない安さだったのです。これは、宿泊施設がすでに供給過剰になっていることの証であり、日本のバブル期に、不動産会社が相次いでゴールドコーストに観光客向けのホテルやコンドミニアムを乱立させたことによる影響です。このとき、すでにゴールドコーストは、日本人観光客ビジネスの環境としては、完全に供給過剰に陥っていたということを私は感じたのでした。




 <第116話> 怖いゴルフがはじまった
1998年11月上旬。オーストラリア・ゴールドコースト。
2時間ほどのミーティングが終了しました。池内さんは不機嫌な表情のまま、私に向き直り、

「スタートは30分後でよろしいですか?」 (怒)

と強い口調で私に問いかけてきました。

「はい。構いません」

ロイヤルパインズのゴルフコースで、ゴルフをする予定を告げたところ、池内さんの上司にあたる40代半ばの女性が、池内さんに対して、私とゴルフを同行するように池内さんに指示を与えていたのです。池内さんは、相変わらず不機嫌な様子でした。

(なんでこんなヤツとゴルフをしなければならないんだ?)

私は、そう思われているんだろうなあ・・・ と感じつつ、かと言って先方からの申し出を断ると、かえって逆効果ですから、そのままお受けすることにしました。スタート前のクラブハウスで池内さんと合流しました。私は2名分の料金を支払おうとしたのですが、池内さんは、すぐにそれを拒みました。

「これは業務目的ですから、お金は払わなくて良いのです!」 (怖)

「え? 私自身の料金もですか?」

「そうです!」 (いちいち言わせるな!という感じ)

2名用のゴルフカートの後部に、池内さんと私のゴルフバックが装着されました。見るともなしに、池内さんのゴルフクラブを見てみると、上級者用のクラブでした。

「池内さんは、けっこうゴルフをされるんですか?」

「ええ。しますよ!」 (怖)

相変わらず、素っ気無い返答だった。

「月に何回くらいされるんですか?」

「・・・・・・・・・・・・・」

完全に私を無視していました。池内さんは既にスタート前の集中力を高めるために、無駄な会話を遮断したかったのでしょう。

「滝澤さん! 用意はできましたか? そろそろスタートしますよ!」 (怖)

「はい、私はいつでも大丈夫です」

のろのろしていたら怒鳴りつけるぞ! と言わんばかりに、池内さんはドライバーを手にして、1番ホールのティグランドに向かっていきました。

あれっ?
池内さんは、慣れた足取りで悠々とティーグランドに立ちましたが・・・

「あ、あのう? 池内さん、そこは男性用のティーグランドですよ。女性のティーグランドは前にありますけれど・・・」

さすがに緊張していたのでしょうか、池内さんは男性用のティーグランドから、ショットを放とうとしていたのでした。私の声を聞いた池内さんの体が、ピタリと止まりました。

「あら!やだ! 私ったら間違えちゃった!」

という反応を少しは期待したのですが、しかし、一瞬止まった池内さんの体は、小刻みに震えながら、ゆっくりと私の方に方向を変えながら、

「(怒) 私はいつもココから打つんです!」 (激怒)

そう言うと、手にしたドライバーで軽く素振りを始めたのです。

(滝澤よ! このスイングを見てモノを言え!)
まるで、そう言いたいかのような、素晴らしい素振りでした。ゴルフをやる人の素振りを見れば、大体どの程度か察しがつきます。

「す、す、すごい・・・・」 私は唖然としました。



 <第117話> 打ち解けあうにはゴルフが一番!
1998年11月上旬。オーストラリア・ゴールドコースト。
ロイヤルパインズ・ゴルフリゾート。
池内さんの素振りは、とても女性とは思えないほど、いや、男性でもあれだけ綺麗に整った素振りが出来る人はなかなかいません。一緒にゴルフをする相手が女性だということで、私はすっかり安心しきっていたのですが、とんだお門違いだったようです。

「先に打ちますよ!」

そういうと、池内さんは第一打を放ちました。綺麗な球筋で真っ直ぐ飛んでいきました。ナイスショットでした。池内さんも満足気の表情でした。

「これは、とんでもない人とゴルフをすることになったなあ・・・」

私は今までゴルフで緊張したことはありませんでしたが、さすがにこの時だけは、妙な緊張感が全身を包んでいたのです。

「頼むよ〜〜 曲がらないでくれよ〜〜」

私の打ち出した第一打は、癖の無いストレートボールでフェアウェイの真ん中に。今回、ゴールドコーストには、M社の新製品のプロトタイプを借りてきていました。初めて使うクラブですから、どうなることか?と心配だったのですが、さすがに新製品だけあって良い仕事をしてくれました。ゴールドコーストの乾いた気候のせいでしょうか、随分とボールの飛距離が伸び、それにつられるように、セカンドショットやアプローチも良い感じで放てていました。私のスコアはいつも以上にまとまっていました。

「滝澤さんは、なかなかお上手ですね」

池内さんが初めて言葉らしい言葉を私に投げかけてくれたのは、4番ホールが終わったころでした。その後も、私は着々とスコアをまとめていました。一方の池内さんは各所で苦戦していました。ドライバーショットは見事なのですが、どうやらアイアンが苦手のようです。

一方の私は、ドライバーは苦手なのですが、アイアンは得意でした。アプローチ用からロングアイアンまで、全てのアイアンを得意としてました。この日は、これまでに無いほどアイアンショットが冴えていたこともあり、池内さんは私がアイアンショットを放つとき、真後ろから、真横から、角度を変えながらじーっと観察していました。

「池内さんはゴルフが好きなのですね」
「ええ、私はゴルフが命ですから!」

ようやく、会話らしい会話が成立しました。先ほどまでのミーティングで鋼鉄のような表情を崩さなかった池内さんでしたが、ホールが進むに従って、表情が柔和になり、私も緊張感が解けていったのでした。

「滝澤さんはご出身はどちらですか?」

「長野県です。池内さんはどちらですか?」

「私は福岡です。筑豊ですよ!」

なるほど。炭鉱の町の出身だということが分かったとき、私は合点がいきました。荒くれ男が集う筑豊ですが、女性たちも負けてはいません。筑豊の女性は強い、というのは有名な話です。

男性や年上の人に対して、絶対に媚を売るようなことはしない性格なのでしょう。愛想笑いや、お世辞も性分に合わないのだろうと思います。そうした芯の強い気持ちを持ち続けるには、たくさんの責任も負わなければならないはずです。池内さんという女性は、私と同じ年でしたが、芯の強さは私より遥かに強いものを持っている人でした。

「凄いなあ。 こういう女性が海外で活躍しているのか・・・」




 <第118話> ゴールドコーストを振り返る
1998年11月上旬。オーストラリア・ゴールドコースト。
ゴールドコーストの滞在も最終日を迎えました。初めて訪れたゴールドコーストで私が見たもの、感じたものは、当初のイメージ通りのものでした。
日本人観光客を大量に飲み込むスケールは、これまで見てきた外国の地に無かったほどのパワーを感じたのです。アメリカもカナダも、そしてニュージーランドも多くの日本人を引き寄せるだけの魅力に溢れています。

ゴールドコーストも同様なのですが、しかし、実際に流れ込んでくる日本人の数は桁違いに多かったのです。その理由は明確でした。日本の大手企業がゴールドコーストでゴルフリゾート、レストラン、ホテル、他様々な分野に投資をしていることから、観光産業の土台が日本の資本力によって支えられ、その結果、日本市場での宣伝力が高いことによるものだと分かったのです。

となると、必然的に日本人を相手にした商売をするならば、ゴールドコーストは格好の場所だと言えるわけです。しかし、私はすでにカナダに移住することを決めていましたし、しかも移住地はケロウナという日本人は誰も知らない極めてマイナーな場所でしたから、ゴールドコーストと比較した場合、その優位性の差は考えるまでもないことでした。

「う〜〜〜ん、ケロウナでどうやったら商売が組み立てられるのだろうか?」
私は再び、袋小路の中に迷い込んだかのような感覚に襲われ始めました。

明日は再びシドニーへ戻らなければなりません。親友のKは私のゴールドコーストでの体験談を楽しみに待っていることでしょう。その成果?を彼に語ってあげたいと思うものの、なかなか良い材料が見つからないまま、狭いホテルのテラスで夜更けまで考え続けたのでした。

天体や星座の知識が皆無に等しい私でも、この空のどこかに日本やカナダでは見ることができない南十字星があることは知っていました。しかし、無知ゆえに、その南十字星を確認することはできませんでした。ただ、意識の中で、南十字星の下で、これからの将来や人生、カナダでの方向付けを考えていられる自分自身が、とても幸せなんだ、ということを感じたのです。




 <第119話> シドニーのKへ報告
1998年11月上旬。オーストラリア・シドニー。
ゴールドコーストからブリスベン空港へ移動した私は、国内線の中型旅客機でシドニーに戻りました。初夏のシドニーは、すでに熱い太陽の光を街中に降り注いでいました。親友のKが帰宅する時間に合わせるように、彼の自宅コンドミニアムの正面玄関に設置されたインターフォンを鳴らしました。

「おお!どうぞ、入れよ!」
スピーカーから彼の声が響き、オートロックのガラス扉のロックが解除された音を確認した私は慣れた足取りでエレベーターに向かいました。

「夕飯食ってないだろ?」
そう言うと、Kと彼の奥さんは手早く身支度を整えはじめました。私たち3人は、歩いてすぐの中華料理店に向かったのでした。通い慣れたレストランでしたから、私たちは迷うことなく料理を注文し、さっそく本題に入りました。

「で?どうだった? ゴールドコーストは?」
Kの質問に対して、私が見たもの、感じたことを率直に伝えました。

「やっぱりゴールドコーストは違うわよねえ」 
Kの奥さんは大きく頷きました。同じオーストラリアと言えども、ゴールドコーストのイメージは別格なのだそうです。都市の規模としては、シドニーはオーストラリア最大の町ですが、観光客を呼び込むパワーは、ゴールドコーストの方が断然強いということでした。

「オーストラリアで観光的な仕事をするならゴールドコーストだろうな」
Kも素早く反応しました。ただ、すでに私の移住先はカナダということで決まっていましたから、シドニーか? ゴールドコーストか? で悩む必要はありませんでした。むしろ、あの巨大なゴールドコーストに対して、私が移住する先であるカナダのケロウナという町で一体、何ができるのだろうか? 果たして日本人観光客は来るのだろうか? という果てしも無い疑問や課題の方が大きかったのです。

「でも、別に大企業を作るわけじゃないだろ」 
Kがポツリとつぶやきました。このとき、私の頭の中に閃いたものがありました。

「そうだ! 反対に考えれば、ゴールドコーストほどのお客が大挙してケロウナに来られたら、逆に対応できずに、それこそ大変なことになるな」
つまり、分相応のマーケットに併せてしまうことで、可能性が見えてくるのでは?というKからのヒントでした。

私がカナダに移住して行なう商売の規模は、個人事業のレベルですから、毎日のようにたくさんのお客さんが来て貰わないと採算に合わない、ということではありません。1週間に1組着てもらえれば十分に採算に合うのですから、それに見合った組み立てを考えることにしたのです。

「なーに、最初は小さくスタートするのが良いよ。順調に伸びてきたら、そこから大きくさせれば良いんだからな」
Kが私にそう言ってくれたことで、私は随分と気持ちが楽になったのでした。




 <第120話> 1999年の新年を迎える
1999年1月。私は1999年の新年を長野で迎えていました。カナダ移住を実行する年がいよいよ幕を開けたのでした。1年前を振り返ると、家業の自主廃業の最終段階に差し掛かっていたころで、他のことは何も考えられない状態で目の前の業務に追われていたのですが、あれから1年が過ぎ、今こうしてカナダ移住を目前に控えることができるようになっている自分の状況だけで、私は大きな満足感を得ていたと思います。

もちろん、本当の勝負はこれからなのですが、そもそものスタートラインに立つことすら遠い遠い夢のような気がしてなりませんでしたから、そのスタートラインが目前に迫り、そこに立つことができる日が迫っていることだけでも、大きな喜びを感じることができたのです。私はすぐにカナダに移住するスケジュールを考えました。あまり遅くしても意味がありませんし、できるだけ早くカナダに移住したかったのですが、その前にやらなければならないことがありました。

知人、友人、親戚などへのあいさつ回りや、役所での手続きなどです。 どこに行っても、聞かれることは同じでした。

「カナダに行って何をするのか?」
この質問に対する私の回答も、同じことの繰り返しでした。

「カナダに行って起業しますよ!」
こう言われた人たちの表情は、一様に不思議そうな表情に変わっていきました。

同時に、
「まったく理解できない・・・」 という表情でもあったのです。

長野県の人は、実は世界で一番長野県が住みやすいと信じ込んでいます。意識しているかどうか?は別にしても、長野県以外で住むことを全く想像できないのでしょう。そういう私自身もそうでした。

同じ長野県の人間が海を渡って海外に移住する、などという行為は、理解されないのでしょう。長野の長い冬が、まだ終わる気配を見せない3月中旬に、私はカナダに出発することを決めました。

3歳になる愛犬を伴っての移住でしたから、犬の海外移送に必要な手続を順番に行い、航空券を確保しました。3月14日の成田発バンクーバー行きの飛行機でした。その日が来るまでに、3年半ほどを過ごしたアパートの荷物を整理する作業が始ったのです。私たちのカナダ移住の日が決まり、あとは着々と準備を進めるだけとなったのです。




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