カナダ人が将来 住みたい憧れの町 ケロウナで・・・
疲れた心を癒しませんか・・・
これから先の人生に必要なヒントとエネルギーが必ず得られるはずです

  
  
  

滝澤のカナダ移住&起業への道のり

 <第121話> 1999年3月14日 カナダへ移住! 
1999年3月14日早朝。妻の実家がある東京都町田市から、前日に予約をしていたタクシーに乗り、上野駅に向かいました。早朝の道路は都心に入っても空いていて、午前7時には京成上野駅前に無事に到着しました。

成田発のフライトは夕方でしたが、愛犬を伴うため「動物移送」の各種手続きを行なわなければなりません。前日にタクシーを予約したのは、小型犬を後部座席に同乗させてくれるタクシーを必要としたためです。

成田空港行きの京成スカイライナーでは、動物移送手続とその料金を支払い、その後、私たちは愛犬を散歩がてら、上野公園の中を歩きました。成田空港に向かうまで、十分すぎるほどの時間がありましたので、愛犬を疲れさせるためにも、徹底して散歩をさせたのです。そう、飛行機の中でぐっすり眠ってもらいたかったからです。

余裕を持って成田空港に到着したのは、午後12時を回ったころでした。空港内の動物検疫所に出頭し、愛犬の海外輸出許可を取るための手続き、健康診断を済ませます。

「カナダに着いたら、2週間ほどの係留期間があるかもしれませんので・・・」
親切な係官は、丁寧に説明してくれました。 
受け入れる国によって係留期間が異なります。伝染病や狂犬病の発症確認のためで、カナダは公的に2週間だということでした。

その後、チェックインカウンターで荷物を預けるとともに、愛犬を預ける手続をしました。温度調節がされている貨物室に搬送するため、空港職員が愛犬が入ったプラスチック製のカートを慎重に運んでいきました。ここから、バンクーバーに到着するまでの間、愛犬とお別れです。
「きゅー、きゅー」 と鳴く愛犬を見送りながら、私たちは出発ゲートに向かったのです。

バンクーバー行きの機体は、定刻通り成田空港の滑走路を離陸しました。夕刻が過ぎ、空はすっかり色を濃く変えていました。

いよいよ、これからが本番です。
長野を離れ、海外に移住しよう!という想いを深め、そして決断をしてから、すでに1年が過ぎていました。長いようで短かった、これまでの期間を終えて、私たちはカナダに飛び立つ瞬間を迎えていました。

1999年3月14日。
私たちのカナダ移住、カナダへの出発の日となったのです。



 <第122話> ついに来た!バンクーバー到着
1999年3月14日。バンクーバー国際空港。
私と妻そして愛犬を乗せた機体は、定刻通りバンクーバーに到着しました。普通の観光と違い、移住を伴う入国ですから、この後の手続きが控えていることを思うと、軽はずみに喜んでばかりはいられません。

機体を降りた私たちは、入国ゲートに向かいました。入国管理官が無表情のまま、私たちに相対し、パスポートをぱらぱらとめくり、東京のカナダ大使館から発行された就労ビザの書類に目を通すと、

「あちらの移民局に行くように」 
と、ここでも無表情のまま私たちの次の段取りを指示しました。

入国ゲートを通り抜けた私たちは、その右手奥にあるカナダ移民局の窓口に向かいました。この場所が一番の難関です。観光旅行の場合は、この移民局に行く必要が無く、そのままスーツケースを受け取って外にでることができます。

しかし、留学、ワーホリのようなビザを必要とする場合は、必ずこの移民局にいかなければならず、就労ビザの発給を求める私たちも同様でした。カナダ大使館から発給された書類は、就労ビザを発給するための審査を終えたということの言わば証明書であり、これを元に本式のビザを発給する権限はカナダ国内の移民局に委ねられているのです。

私はかなり緊張していました。
カナダに移住するために、まるで人体実験のような仮設を立て、その前年に会社を作り、それを証拠に東京のカナダ大使館で就労ビザの発給を求めるというスキームを自分で作りあげてきたものの、最後の最後でつまづいたら、文字通り全てが水の泡になってしまう、という一種の恐怖にも似た感覚でした。
担当した係官は、私が提出した書類に目を通すと、そのままキーボードを叩き始めました。

「ん? これはおかしいですね。あたなのビザは発給できません」

いつ、そういう言葉が飛び出してくるのか?と戦々恐々の面持ちでしたが、そんな私の不安をよそに、係官のキーボードを叩く音は変わらずに響いていました。その音が、何かを印刷するプリンターの音に変りました。私は反射的に、「よし!これでOKだ!」 と拳を軽く握り締めたのです。

ほどなくして、私と妻のビザがそれぞれの用紙になって、その内容を確認するよう促されました。ビザの有効期限は1年間です。自由就労は認められず、自身の会社でのみ就労が許可され、その活動地域はケロウナを中心とするオカナガン地方に限定され、留学を含めた就学は認められない、という内容でした。そのビザの用紙がホチキスでパスポートのページに留められました。

「よし!やった!」

1年間だけの就労ビザとは言え、念願だったカナダの居住ビザを得た瞬間でした。




 <第123話> 我が家の愛犬カナダに入国
1999年3月14日。バンクーバー国際空港。
次に私たちは愛犬の引き取りに向かいました。成田で別れてから、12時間以上が経過していましたが、プラスチック製のカートの中で、愛犬は元気な姿を私たちに見せてくれました。やれやれ、これでまず一安心です。

次に向かったのは入国時の手荷物検査です。これも観光旅行の場合、日本人はほとんどのケースでパスされますが、移住の場合は荷物検査があります。そして、動物移送に伴う手続きがここで行なわれます。私は成田空港の動物検疫所で発給された書類を大柄な係官に手渡しました。

英文で書かれた、「日本国動物輸出証明書」を見た係官は、びっくりするくらい簡単な態度で書類にサインをし、

「あっちのカウンターでお金を払いなさい」

と次の指示を与えてきました。
拍子抜けした私は、言われるがままに動物入国税を支払いました。かなり緊張していたので、金額は覚えていませんが、3000円ほどだったと思います。

「カナダは2週間程度の係留期間がある」 と成田空港で聞かされていたため、
「2週間の係留は長いよなあ・・・」 という不安や心配が緊張の基になっていたのです。

ところが、動物入国税を支払うと、ちっとも係留の話が出てきません。不思議に思った私は、目の前にいた係官に、
  
「あのう・・・ もう行っても良いのでしょうか?」

と恐る恐る聞いてみました。

「ええ。もう手続きは終了したので行っていいです」

まさに天の声でした。二度と引き止められてなるものか! という思いで、大急ぎで愛犬と荷物を乗せたカートを押して、空港の外に出たのでした。

「やった!係留されずに済んだ!」

私も妻も、人生の中でこれほど安堵した瞬間は他に無かったと思います。
3月中旬過ぎのバンクーバーはどんよりと曇った空が広がっていました。太陽の光が出る雰囲気もなく、何か薄暗さを感じるくらいでしたが、寒さはまったく感じませんでした。12〜3度という程度でしょうか?

到着ロビーを真っ直ぐ抜けると、左手に小さな公園があります。成田空港でカートに入れられたままだった愛犬は、12時間ぶりに外に出たのです。上野公園で疲れさせるほど散歩させたのが良かったのでしょうか、カートの中でおしっこやウンコをした形跡はありませんでした。

やれやれ・・・
私と妻、そして愛犬は、無事にカナダ入国を果たしたのです。




 <第124話> 念願のカナダ移住とケロウナ到着
1999年3月14日。バンクーバー国際空港。
午前中にバンクーバー空港に到着し、入国手続の全てを無事に済ませた私たちは、空港の外にある公園でゆっくりと流れる時間を楽しんでいました。長いフライトの間、ずっと狭いキャリアの中に閉じ込められていた愛犬を、少しでも外の空気に触れさせてあげたかったからです。

バンクーバーの空はどんよりと雲っていましたが、気温は思ったよりも高く、寒さを全く感じることはありませんでした。夕方6時過ぎ。あたりがすっかり暗くなったころ、私たちは国内線に乗り換えてバンクーバーから一路ケロウナに向かいました。約1時間ほどで、機体はケロウナ空港の滑走路に着陸し、私たちの移住の目的地である町に到着したのです。

空港には、私と共同で会社を立ち上げてくれた日系三世のビクターが迎えに来てくれていました。久し振りの再会を懐かしみながら、スーツケースが出てくるターンテーブルの前に立っていると、愛犬が入ったキャリアがスーツケースと一緒に出てきたのです。

「よかった!」

もし、間違って違う飛行機に乗せられてしまったらどうしよう?そんなことは滅多に無いとは言うものの、愛犬を無事にこの手にするまでは心配は尽きないものなのです。
バンクーバーよりも幾分、肌寒さを感じる3月中旬のケロウナに、私と妻、そして愛犬は、これから始る生活の場となる家に向かったのです。

ケロウナ市内から少し離れた高台に広がる住宅地。この住宅地にある一軒家を借りることになっていました。賃貸の場合、犬を許可してくれるところがなかなかありません。ようやく見つけたところが、この一軒家だったのです。

おおよそ日本の住宅環境から見たら、考えられないような広さでした。十分な設備が備わったキッチンと、ダイニングルーム。リビングルームは暖炉で仕切られたオープンの二つの間が広がっていました。ベッドルームは4つあり、バストイレルームは2つ。車が2台収容できる電動シャッター付きのガレージ。庭はほどよい広さで緑の芝が広がっていました。

すごい住宅でしたが、この住宅地は高級住宅地なので、私たちが借りた家は、この住宅地のレベルから見たら、下のグレードでした。実際に、私たちが借りた家の裏手には、まるでお城のような3階建ての家が続々と並んでいたのです。

「ひぃーーーっ すごい住宅地だなあ・・・」

「とにかく、今日はゆっくり休んで!」

ビクターの心遣いに感謝しながら、私たちは泥のように眠りについたのでした。




 <第125話> はじめての散歩とオカナガン湖
1999年3月15日。
カナダに移住し、最初の朝をケロウナで迎えました。とうとうカナダに移住したんだ・・・
何ともいえない深い感動が心の底からわいてくるようでした。愛犬は、ここがカナダだとは思っていないでしょうが、さすがに生まれ育った長野ではないことも同時に感じていたはずです。

愛犬は家の中ではオシッコやウンコをしないようにしつけてありますから、朝晩の散歩は欠かせないのです。
私たちは愛犬を連れて、さっそく散歩に出かけました。昨日、この家に到着したときは、すっかり暗くなっていたので、日中の日差しが降り注ぐ住宅街を改めて見渡してみると、綺麗に手入れがなされた庭が広がる家々は、どこから見てもまるで絵葉書です。

「ひやぁーー すごいなあーー」
「ほんとだねえーーー」

私と妻はきょろきょろと右左の家々を眺めながら、愛犬と散歩をはじめました。我が家を出て、100メートルほど歩いたところに、トレッキングコースを示す看板が立っていました。

「ここから先はトレッキングコースです」 という意味の看板です。

私たちは愛犬を連れてそのコースに入って行きました。松林の中には、舗装されていない地面の道が傾斜しながら続いていました。愛犬は大喜びです。アスファルトの上よりも、土の上が良いのでしょう。下って登って、まだ下って登って・・・ 3回ほど繰り返したとき、

「あっ! す、すごい!」

私たちの目の前に、青く左右に広がった湖が見えてきたのです。オカナガン湖です。
ケロウナ市は、オカナガン湖の湖畔に広がるリゾートシティです。そのオカナガン湖は、南北に約120kmの細長い湖で、幅は1〜2kmしかありませんから、対岸がしっかり見えるのです。

対岸の岸辺には、ヨットハーバーを備えた豪邸がひしめいていました。カナダ人が将来住んでみたい町の人気度が高いと言われる意味が、こうした景色から読み取れます。オカナガン湖は巨大で、もともとは氷河だったことから、水深は深いところで360mありますので、水面が凍ることはありません。この日、朝から快晴の空の色は、そのまま湖の湖面に移りこんだかのように眩い青さを保っていました。

私たちは、この日から約10年ちょっとに渡って、オカナガン湖に抱きかかえられるように、ケロウナでの生活を楽しんだのです。そして、愛犬の散歩コースは、このトレッキングコースに入り、オカナガン湖が見えるところまで歩く、というのが日常のひとコマになっていったのです。




 <第126話> 毎日の仕事は買い物?
1999年3月下旬。
日本から送った引越し荷物が到着しました。バンクーバーに支店があるヤマト運輸さんが運んでくださいました。もともと、日本から送った荷物はそれほどの量ではありませんでしたが、大きなものは、長野のアパートで使っていた小型のソファセットと、ダイニングテーブルセットだけでした。

衣類だけは、向う10年間、何も買わなくても良いというくらいの量を用意し、それらも無事にケロウナの家に運び込まれました。広い家でしたので、荷物はすんなりと収まりました。まだ、家の中はスカスカの状態でした。日用品のほとんどは、カナダに来てから購入しようと決めていましたので、私たちはさっそく、到着の翌日から買い物に出かけました。

中古のアメリカ車のレンタカーを2週間借りていましたので、トランクと後部座席に買い物の荷物を満載しては、いったん家に戻り、荷物を家の中に運び込むと、再び買い物に出かけ、また家に運び込むという作業を何度も繰り返しました。キッチン用品や日用品は、全てケロウナで購入しましたが、実際に生活用品を全て買い揃えるとなると、これが簡単には終わりません。

一通り買い揃えて、これで終わりかな? と思うと、買い忘れた品が次から次に出てきます。そのたびに、また買出しに出かけるという日々が続きました。カナダに入国して、5日間ほどは、毎日が買い物の繰り返しでした。しかし、これがなかなか良い勉強になります。何をどこで買えば良いのか?ということが、良く分かるからです。もちろん、後になって失敗したなあ、と気が付くこともあります。

でも、そうした一つ一つの経験が、海外生活を始めるにあたっては、とても重要なことなのだと思うのです。日本で普通に売られているモノが売っていなかったり、価格が極端に高いモノもあれば、反対に極端に安いモノもあります。

「へえー。日本と全然違うんだなあ・・・」

ということを、毎日の買い物を続ける中で、体験することが出来ます。これが、海外生活の第一歩だったと思うのです。




 <第127話> 喜んでいられない・・・ ビザの問題
1999年3月下旬。
私たちと愛犬のカナダでの生活がスタートしました。日本を離れ、夢だったカナダへの移住が実現した喜びを感じました。しかし、本当の意味での移住が果たせたわけではありません。確かに体はカナダにありますし、カナダでの生活はスタートすることができました。ただ、移民法上の正式な移民ではありません。

私たちは、まだカナダの永住ビザを取得していませんでした。というよりも、このときの私たちでは永住ビザの申請要件を満たすことができなかったのです。合法的に得られたのは、就労ビザでした。その期間は1年間のみでした。これからの1年間で、実績を作れなければ、永住ビザの申請はおろか、就労ビザの更新すら不可とされる恐れがありました。もし、そうなったら、泣く泣く日本に帰国せざるを得ません。

私たちにとって、ここからが本当の勝負です。海外に移住をしたい!という思いを強め、その準備に入り、移住先をカナダに決め、そしてようやくここまでたどり着いたのですが、それはゴールではなく、スタート地点です。

カナダに移住できた喜びを、いつまでも味わってはいられません。私はカナダに自分の会社を設立し、自分の会社から自分に対する就労ビザを得ましたから、その自分の会社で売上や実績を作らなければなりません。具体的な業務を形にできなければ、せっかく設立した会社もペーパーカンパニーと同じでしかありません。

カナダに移住できたこと、会社を設立し、堂々と商売ができること、これらの条件を整えたわけですから、あとは迷うことなく仕事を作り出し、売上を上げていく以外に私たちが先を切り開く術はありませんでした。

「さて・・・ これからが本番だ!」

今思うと、いろいろな不安はあったと思いますが、それ以上に期待や希望の方が大きかったと思います。年齢も若く、31歳になる年でしたので、多少のことは無理も効きますし、行けるところまで行ってやろう!という気持ちだったのです。

「とにかく仕事を作り出さなければダメだ!」

その具体的な方法も、ヒントも、誰も何も教えてくれません。もっとも、そうしたことを相談できる人もいませんでしたから、誰も頼ることもできません。全ては自分で考えて、行動していくしかありませんでした。




 <第128話> パソコンに向かい続ける日々
1999年4月 カナダBC州ケロウナ市。
カナダに移住した!という喜びに浸っている間もなく、どうにかして仕事を造り上げる手立てを考えなければなりませんでした。

ビザに定められた猶予は1年間でしたから、1年後までに何らかの仕事の形を造り上げ、売上を立てなければなりません。私は迷うことなくパソコンに向かいました。パソコンしか頼る手立てが無かったからです。私が得た就労ビザは、自分の会社でしか働けないという縛りがありましたから、適当にどこかで働けば良いや!という訳にはきません。

ある種のプレッシャーを感じつつも、絶対にここを乗り切るんだ!という思いは、野球に例えるなら、ノーアウト満塁の場面でマウンドに立つ投手そのものの心境に近かったと思います。

昼も夜も忘れて、四六時中パソコンに向かい、自社のホームページを作成しました。内容はケロウナという町を紹介したものでした。日本では無名のケロウナを、いかにして日本の方々に知っていただくことができるか?ということと、同時にどうやれば興味を持ってもらえるか?ということに知恵を搾り続けました。

ケロウナの魅力を訴えると同時に、そのケロウナに移住した私自身を恥ずかし気もなく、猛烈にアピールしました。それ以外にアピールするものが無かったのです。私自身の経歴や生い立ち、故郷の長野のこと、卒業した学校や友人のこと、野球のこと、スキーのこと、書けることは全て書き尽くしました。

1999年という年を振り返ると、まだホームページ自体が今ほど溢れていませんでしたし、ブログも無い時代でしたから、ホームページのヒット率は当初から安定して高かったと思います。

それに呼応するかのように、問い合わせや相談のメールが舞い込んできました。「ケロウナに行ってみたい」、「娘が留学しているケロウナを訪問してみたい」、「カナダに移住した動機や経緯を教えてほしい」、「カナダの生活を伝えて欲しい」、メールの内容は実に様々でした。

同時に、確実に問い合わせが増えていくことを実感する中で、この手法をビジネスに置き換えられないだろうか?というヒントが頭の中に描かれました。とにかくホームページに力を入れよう! そういう思いが益々強くなってきたのでした。




 <第129話> ケロウナに日本人がやってくる
1999年5月。
私のホームページをご覧になった方々から、いろいろなお問い合わせのメールを頂き、それに返信する作業が毎日のように続きました。意図的ではないにせよ、ケロウナの魅力を伝え続けているうちに、日本からケロウナに訪れる方々が増えてきました。

カナダに移住して2ヶ月もたたないうちに、様々な目的を携えたお客さんが連日のようにケロウナを訪問してくださるようになりました。ちょうど、ゴールデンウィークからその波は大きくなり、5月から10月までの間、私たちは忙しく対応に追われていました。

ケロウナの市内観光めいた内容がほとんどでしたが、意外と多かったのはカナダに移住したい方々の現地視察を兼ねた旅行というものでした。私たちも同じ思いでカナダに移住しましたから、不安や希望を含めた経験談を語ることはできました。

そうした方々は、バンクーバーやバンフへの旅行を兼ねながら、将来の移住を夢見たカナダ旅行を楽しむ中で、ケロウナにも立ち寄ってくださったのでした。夏休みシーズンは、ご家族で訪れるグループあり、新婚旅行のカップルあり、実に様々なお客さんがケロウナに訪れてくれました。考えてみれば、移住して1年目から結構な忙しさに追われていたことを改めて実感できます。

もともと好きだったケロウナという町を、いわば得意気にお客さんに伝えるわけですから、楽しくないはずがありません。ケロウナの魅力を訴えることが、まるで自分に与えられた使命かのように、私は嬉々として語り続けていました。

インターネットで、「ケロウナ」を検索すると、私のサイトがトップに表示されるまでに、さほど時間はかかりませんでした。何かのキッカケで、ケロウナを知った方々がネット検索すると、私のサイトにたどり着くという、まさに理想的な展開になっていたのでした。当時と今とでは、ネット環境は様変わりしましたから、改めて考えてみますと、インターネットを使った告知という意味では、良いタイミングだったと思います。

11月になると、日本からのお客さんの流れが、ばったりと止まり、久し振りに、ゆっくりと移り行くカナダの時間の中に身をおくことができました。さて、これからカナダの長い冬を迎えるにあたり、具体的なビジネスの形をどうするのか? 差し迫った現実に直面したまま、季節は間もなく初冬に変わろうとしていました。




 <第130話> アイスワインとの出会い
1999年11月 カナダBC州ケロウナ市。カナダに移住した3月中旬から、私たちは毎日を忙しく過ごしていました。蓋を開けてみたら、初年度から日本人のお客様がケロウナに数多くお越しになり、なんとなくケロウナ観光ガイドのような仕事が形になっていきました。その忙しさがピタリと止んだのは、初冬を迎えた11月でした。再び、仕事が無いという状態に陥ったわけです。

今、振り返ると、このときが人生の岐路だったと思います。もし、私の運気が悪かったなら、おそらく11月からズルズルと何もできないまま春を迎えていたと思います。

私は永住ビザを取得する前にカナダに自分の会社を設立しました。自分の会社から自分に対する就労ビザを発給させるという名目でしたが、そのためには、カナダ国籍者(または永住ビザ保持者)を取締役にしなければならないというルールがありました。

私の友人で、日系三世のビクターニシという人物がこの役目を引き受けてくれていました。11月のある日、彼が私にワイナリーツアーをやったらどうか?と提案してきました。

「ワイン? ワイナリーツアー・・・・?」

私は全く興味を示しませんでした。ケロウナ市があるオカナガン地方はカナダを代表するワインの産地です。しかし、ワイナリーツアーという旅行商品が、日本に住んでいる日本人に受け入れられるとは、全く考えられなかったのです。

「一度、ワイナリーに行ってみよう!」
ビクターは、そう提案すると、なかなか腰の上がらない私を、引きずるように車に乗せ、ケロウナ市内のあるワイナリーに連れてくれたのでした。11月のワイナリーは、すでに収穫が終わり、あたり一面には薄茶色の風景が広がっていました。文字通りオフシーズンに入ったワイナリーを訪れる人影も無く、昼間だというのに周りを包む空気は静寂そのものだったのです。

ワイナリーで造られたワインを購入できる小さな木造のショップがありました。扉を開け、私たちはショップの中に入りました。ブドウ畑での作業を終えたと思われる作業員の男性が、にこやかに私たちを迎えてくれました。作業員の男性は、静かな語り口調で、丁寧にひとつひとつのワインを説明してくれました。しかし、私は全く興味を抱きませんでした。最大の理由は、私自身、ワインには全く興味が無かったからです。

そんな私の表情を見抜いたのか、作業員の男性は、小さめのワイングラスに極少量のワインを注ぎ、私に差し出してきました。私は相変わらず興味を示さないまま、渡されたワインを無造作に口に含みました。

「!・・・・・・・・・・???」
私の表情は、一瞬にして変わったと思います。

「こ、これは何ですか?」
  
作業員の男性は、満足気な笑みを浮かべながら、
「アイスワインですよ」 と、そのワインの正体を教えてくれました。

「アイスワイン・・・?」
私はグラスの底に僅かに残った黄金色の液体を凝視しました。

「これがワインなのか? こんなワインは初めてだ・・・」
次の瞬間、私の右と左の脳みそが腕組みをし始めたのでした。

「うーーーん・・・ これがワイン・・・ アイスワインか・・・」



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