カナダ人が将来 住みたい憧れの町 ケロウナで・・・
疲れた心を癒しませんか・・・
これから先の人生に必要なヒントとエネルギーが必ず得られるはずです

  
  
  

滝澤のカナダ移住&起業への道のり

 <第131話> アイスワインは日本で売れるのか?
1999年11月。カナダBC州ケロウナ市 セントヒューバータス・ワイナリー。ビジネスパートナーのビクターが連れて行ってくれたのは、スイス系カナダ人が経営するセントヒューバータス・エステイト・ワイナリーでした。

私にアイスワインを差し出してくれた作業員の男性は、なんとこのワイナリーのオーナーさんだったのです。ケロウナ地区のワイナリーでは中規模クラスのワイナリーですが、生真面目なスイス人らしく、畑の管理からブドウの育成具合まで含めて、実際にオーナー自ら現場作業に従事しているということでした。

私は生まれて初めて出逢ったアイスワインのボトルを手に取り、表と裏のラベルに記載されている文字を目で追いました。

(アイスワインとは)
厳しい気象条件と全てが手作業のため、大量生産できない高級デザートワイン。春に作付けし、収穫は真冬の「ある1日」だけ。この日を逃したらアイスワインは誕生しません。厳しい寒さでブドウが氷結し、それを一気に収穫し、一気に絞ります。
水分と果糖エキスの氷点が違うため、マイナス8〜15度で氷結したブドウは、果実の中の水分は凍っていますが、果糖は凍りません。これを搾ると水分は凍っているので液体にならず、天然エキスの果糖はポタポタと液体になって出てくるのです。
この果糖エキスだけを醸造したものが、アイスワインです。普通のワインに使用するブドウの量から、僅か10%程度しか作ることができません。氷結したブドウ・・・それがアイスワインになるのです。
全てはカナダの大自然が生み出す宝物です。


世界に数あるワインの中でも、貴腐ワインと並ぶ超高級デザートワインです。そのアイスワインの産地が、ケロウナだったのです。私は改めて、この偶然は必然なのではないだろうか?と考えながら、だとすると、これは何かのキッカケになるのでは?という思いを巡らせたのでした。

ワイナリーのオーナーの話では、彼らの出身国であるスイスには輸出しているとのことですが、その他の国には輸出はしていないとのことでした。生産量の少ない貴重なワインですから、大量に買い付けて大量に輸出するということが、そもそも当てはまらないのです。だとすると、私のような個人起業レベルでも、可能性があるのではないだろうか?と考えた私は、すぐさまワイナリーのオーナーに尋ねました。

「このアイスワインを、私が日本に輸出して日本で販売できますか?」

「君がやってくれるなら、こちらも有難い話だよ。是非、やってもらえないだろうか」

今、振り返ってみても、不思議な出逢いでした。私はワインには全く興味が無かったのです。自分で飲むという楽しみも知りませんでしたから、当然のことながらそれをビジネスにしようなどという発想は全く持ち合わせていませんでした。しかし、アイスワインの味を知ってしまった私は、この魅力的なワインを日本に輸出
するビジネスを組み立てることができたら面白いな、という感覚を全身で受け止めていたのでした。

全く興味を抱かないまま訪れたワイナリーで、人生の転機とも言えるアイスワインとの出会いが、その後の私のカナダ生活や仕事に大きな影響を及ぼすようになろうとは、その時はまだ実感がありませんでした。




 <第132話> 一人ぼっちの市場調査が始る
1999年12月 カナダBC州ケロウナ市。
ケロウナ市を中心としたオカナガン地方は、カナダで2番目の規模を誇る一大ワイン産地です。

確かに、オカナガン湖の回りには大小の個性豊かなワイナリーが点在しています。オカナガン地方はカナダで唯一の準砂漠気候で、年間の日照時間は、カナダで最長で、朝晩の寒暖の差を利用した良質なワイン用ブドウの生育には適した土地柄です。

さて、この恵まれた大地から産み出されたワインを、どうやって日本で販売するべきか? 突然、目の前に現れた大きな宿題を抱えたまま、1999年の年末を迎えました。日本のワイン市場の実情を調べていくうちに、これは大変な市場だな・・・ という印象を受けるまでに、さほどの時間は掛かりませんでした。
  
当時、日本では赤ワインがブームになっていましたが、その裏側は世界各国から安価に輸入されたワインが流通在庫として積みあがり、向う4年間の在庫が日本国内にダブついているような状態でした。また、すでにデフレに陥っていた日本の市場では、ワインの小売価格が下がり続け、1000円を下回るワインが市場を席巻していました。

下がり続ける販売価格と、ダブついている流通在庫の山。こうした市場に新規で参入するのは至難の業でした。もうひとつ、大きな課題がありました。カナダ産のワインの知名度の低さでした。カナダという国のイメージは、日本人にとって好意的に受け止められますが、ことワインに限っては例外でした。

フランスやイタリア、ドイツなどのヨーロッパ産のステイタスが高く、カリフォルニアやオーストラリアなどの新世界と呼ばれるワインも少しずつ認知を高めていたものの、カナダのワインの知名度は文字通りゼロでした。

ワインを扱う日本の業者さんに、思い切ってメールをしてみましたが、カナダのワインというだけで、全く相手にされず、誰も知らない国のワインなど売れない、という回答だけが返ってきました。

調べれば調べるほど、そのハードルは高くなるばかりでした。知名度の低さ、日本のワイン市場は安売りが主体で、価格破壊が進んでいた状況の中で、具体的は販売方法が見つからないまま、2000年を迎えたのです。

「こりゃ、大変な商売になるなあ・・・」

ほとんど八方塞がりの状態で、私は初めてのカナダの冬を迎えていました。



 <第133話> 酒販法という大きな壁
2000年1月。カナダBC州ケロウナ市。
ワインはお酒です。アルコール類である以上、法律上は酒類販売法という法律の適用を受けます。

これは全くの盲点でした。それらしき法律の適用は受けるだろうな、と思ってはいましたが、まさかこんなに厳しいとは思いませんでした。カナダの酒販法は日本以上に厳しい規制がありますが、ワイナリーからの直接輸出であれば、合法だということが分かり、まずカナダの酒販法はクリアすることができました。

次に取り掛かったのは、日本の酒販法でした。酒販法によって定められた免許を保持している法人(または個人事業主)でなければ、お酒の取り扱いは認められません。その所轄官庁は、最寄の税務署です。当時、インターネットで得られる情報が今ほど絶対量が少なかったため、私は地元の長野県上田税務署に電話をしました。

「あの、酒販免許を取りたいのですが、どうしたら良いのでしょうか?」
「上田税務署管内にお住まいの方ですか?」
「いえ、カナダに住んでいる者です」
「???」

要領を得ない会話が続きました。答えは火を見るより明らかでした。

「ダメだ・・・ 自力で酒販免許は取れない・・・」

その後、調べれば調べるほど、酒販免許の取得が困難を極める内容であることが分かりました。

「これが規制ってヤツなのか・・・」

私には目の前に大きな宿題が2つありました。

(1)日本の酒販法をどうやってクリアするか?
(2)日本市場でどうやってカナダ産ワインを販売するか?

この2つの宿題を解かなければ、カナダ産ワインの日本販売というビジネスは成立す
ることができません。

「酒販法・・・・。 販売方法・・・」

私は朝から晩まで、ずっとずっと考え続けました。もともと、小売業の出身ですし、実家は親族一同、仕入れ販売業でしたから、モノを仕入れて販売する、ということについては生まれた瞬間から、深くDNAに刻み困れた門前の小僧です。

「これをやらなきゃ、カナダに来た意味がない!」

不思議と、私は諦めようとする思いが全くなく、必ず形にしてみせる!という強い意志だけを持ち続けることが出来ていました。

「酒販法・・・・。 販売方法・・・。 どうするか・・・?」



 <第134話> 救世主は同級生
2000年2月 カナダBC州ケロウナ市。
カナダのワインを日本で輸入するために、日本の酒販法をクリアする必要がありました。自力では不可能だと悟った私は、別の方法を考えました。

日本で酒販免許を持っている人に協力を仰ごう、と考えたのでした。自力で不可となった以上、その立場に立つ人と組むことを考えるのは自然な流れでしたが、それに該当する人がなかなか思いつきませんでした。

「誰かいないかな・・・?」
そのとき、すぐに私の頭の中に一人の人物の顔が浮かんだのでした。大学時代に同じ野球部だった同期生の実家が、大阪で酒屋さんを営んでいたことを思い出したのです。その彼は、大学卒業後、母校の体育教師になっていましたが、とにかく彼に相談しようと思い、大急ぎで手紙を書きました。電話番号とメールアドレスを忘れずに書き込んだ手紙を、祈るような思いで郵便局から日本に向けて発送したのです。

「これでダメなら、もう他に手立てが無い・・・」
  
1週間が過ぎた頃、その彼から電話が来ました。受話器の向うから懐かしい声が聞こえてきました。山中でした。

「おお山中!久し振り!」
「久し振りやな!手紙読んだで!」

私は事情を大急ぎで彼に説明しました。

「ええよ!やろか!」

母校に赴任していた彼は、実家の酒屋さんを継ぐために、数年前に教員を退職していたというのです。偶然とはいえ、私にとっては、これ以上ない協力者の出現だったのです。これで、カナダからの輸出と日本での輸入に関して、一番やっかいだった酒販法をクリアすることができたのでした。




 <第135話> 初めての輸出手続に四苦八苦
2000年2月。カナダBC州ケロウナ市。
さて、実際に日本に向けてワインを輸出するにあたって、貿易手続を行なわなければなりませんでした。当たり前のようにパソコンに向かって調べるのですが、当時はこうした肝心な情報は全くと言って良いほど、ネット上に公開されていませんでした。少ないネット上の情報の中から、気になる文面を見つけました。

「食品添加物の検査結果が必要」 という項目でした。
「食品添加物って・・・? 具体的に何なんだ?」

そこから先の肝心な内容については、いくら探しても見つかりませんでした。私は思いあたる先に、片っ端から電話をしました。バンクーバーにある船会社や貿易会社、果てはジェトロのバンクーバー事務所、日本にある貿易会社まで、電話をした先は20社以上に及びました。

しかし、明確な返答は得られませんでした。もっと簡単に分かると思っていただけに、思わぬ壁の出現に立ち往生したまま数日が過ぎていました。

「よし!決めた!」
ここで私はある決断をしました。この答えを得るために、一度日本に行こうと決心したのです。大阪の山中に会って、これからの具体的なことを伝えたいという気持ちもありました。電話やメールではちっとも前進できないイライラを一気に解消させるには、飛び込みで貿易会社に突入した方が良いという体力任せの考えだったのです。

3月の日本行きの航空券を確保した私は、短い滞在の間で日本側でのワイン輸入に必要な手続を調べるために向かう先をリストアップしました。東京、横浜、大阪、それぞれにある会社や公的機関の住所をまとめ、日本での滞在日程を組み立てました。

「必ず輸入手続の方法を見つけてやるぞ!」
アイスワインという商材との出会いがあり、その後、酒販法にぶつかりながらも大阪の山中の協力のおかげで乗り越えることができたのです。ここまで来て、たかだか貿易手続ごときで諦めるわけにはいかなかったのでした。




 <第136話> ジェトロと大阪税関 その1
2000年3月 東京・虎ノ門。
日本に到着した私の初日は、虎ノ門にあるジェトロ本部を訪ねるところからスタートしました。

ジェトロの目的は、日本からの輸出を促進するための組織であり、私が行おうとしていたのは日本への輸入でしたので、そもそも場違いなのでは?と思っていましたが、とにかく何らかの手がかりを手繰り寄せたい一心だけが、私の足を虎ノ門に向かわせたようなものでした。

対応に現れた担当者は、最初から高圧的で上から目線の50代の男性でした。「あんたが大企業の人なら話を聞いてやるけどね」 と言わんばかりの態度で、一個人の私の話を聞くことが、まるで時間の無駄だというような表情でした。そうした態度に歯向かうように、私は自分の意見や考えを一通り述べ、目の前の担当者から回答を引き出そうとしました。

担当者は顔に「渋々・・・」という文字が浮かぶかのような態度で、分厚いファイルを取り出してきました。食品添加物の輸入前事前検査についての事項です。日本に輸入する前に、つまり輸出国側で食品添加物の事前検査を受けられる機関がリストアップされている一覧表が机の上に広げられました。厚生労働省が認定している諸外国の検査機関の一覧からカナダを探し出し、ケロウナから最も近い場所がバンクーバーにある検査機関であることが分かったのです。

「具体的にどんな内容の検査が必要なのでしょうか?」 私の質問に対して、渋々・・・の表情を浮かべ続けていた担当者は、
「ここで聞かれても、、、、ねぇ・・・・」 渋々顔の担当者は、更に渋々の表情を強めながら、
「ここでは分かりませんよ。分かるところに行ってください」

担当者が更に渋々の表情の色を強めながら、その場所の住所と名称を紙に書きなぐり、私に渡してきました。

東京都●●区●●町・・・ 財団法人●●●●

そこに記載されていた機関は、ジェトロの下部に位置づけられる団体でした。いわゆる天下り団体だということは、当時の私でも容易に想像がつきました。渋々顔の担当者の顔が、もうこれ以上、渋々色を濃くできないころ、ようやく私はジェトロを後にしたのです。ジェトロでの収穫は大きいものがありました。食品添加物検査を、カナダ国内で事前に行なうことができるということと、その指定検査機関の存在と所在地が入手できたのですから。

「よし!まずは幸先は良いぞ!」
私は地下鉄を乗り継ぎながら、書き渡された住所に向かいました。




 <第137話> ジェトロと大阪税関 その2
2000年2月 東京・某所 財団法人●●●●
ジェトロの渋々顔の担当者から教えられた場所に到着しました。虎ノ門という一等地に巨大なビルを構えていたジェトロと違い、その機関は、ごく普通の雑居ビルの中に所在していました。正面玄関のドアを開けると、小さい事務フロアに数名の職員が見渡せました。私は対応に現れた女性担当者に事情を説明しました。

女性担当者は極めて事務的に、一冊の本を取り出してきました。
「これを見ていただければ分かります」

食品輸入貿易ハンドブック(仮名) と書かれた分厚い本でした。

「●●●●円です」

これもまた事務的に、女性担当者は買うのが当然だという表情でした。

「口頭での回答やアドバイスは致しておりません。私共はこのハンドブックの製作、編纂、管理、販売を業務としています」

「お前の質問は受け付けないんだよ!」
という冷たい表情が、女性担当者の顔に満ちていました。私はその場で、そのハンドブックを購入し、その機関を後にしたのです。近くの喫茶店で私は購入したハンドブックを開きました。

「あった!」
ワインを外国から輸入する場合について、という目次の表記を見つけ、目的のページを探しました。

食品添加物について、私が知りたいことの情報は全く記載されていませんでした。しかし、輸入したワインには日本語表記のラベルが必要なことが記載されていました。確かに、日本に輸入されているワインには必ず日本語のラベルシールがボトルの裏に貼られています。そのラベルに記載しなければならない項目や表記法方が詳しく書かれていました。これもまた、私にとっては貴重な回答となったわけです。わざわざ購入しただけの価値はあったということになります。

しかし、肝心の食品添加物のことについては、そのハンドブックにも記載がされていませんでした。日本語ラベルについては分かったものの、食品添加物については未だにハッキリとした答えを見つけられないまま、都内を歩き回った一日が終わろうとしていました。




 <第138話> ジェトロと大阪税関 その3 
2000年3月 東京・●区 某運輸会社。
カナダからワインを日本に輸出する場合、その運送を貿易会社に依頼するようになるわけですから、私は民間の貿易会社であれば私が抱えている様々な質問に回答してくれると考えていました。

私は大手運輸会社を訪ねました。質問に立ち会ってくれたのは、40代後半の男性社員でした。しかし、そこで聞かされたことは私の期待にはほど遠いものでしかありませんでした。

「私共は輸送を扱う立場ですから、ワインの輸入検査内容について、お知らせできる立場ではありません」

お役所以上にお役所的な回答でした。

「どこに聞けば分かるのでしょうか?せめてそれだけでも教えてください」

私は必死に食い下がりました。40代後半の男性社員の表情は、「面倒!」という色に染まっていたように感じられました。

「税関に聞けば良いんじゃないですか」

「税関?」

それまで私の頭に無かった税関というキーワードが、このとき、インプットされたのでした。税関・・・ その言葉を手土産に、私は僅か数分でその大手運輸会社の巨大な建物を後にしました。

3月の東京の空は気持ち良いほどの快晴で、雲ひとつ無い青空が広がっていました。私の心の中は、東京の空ほど晴れ上がってはいなかったものの、しかし、何となく分厚い雲の切れ目から青空が顔を見せ始めたような感覚を得ていたのです。

翌日から、私は大阪に移動する予定になっていました。大阪で3日間の滞在スケジュールでしたから、大阪の税関を尋ねようと決めたのです。カナダから輸出したワインを輸入してくれる山中と打ち合わせることが、大阪滞在の最大の目的でしたが、あらたに大阪税関を訪問する予定が加わりました。

「よし!大阪が正念場になるな!」

そして、翌日の新幹線で、私は大阪に移動したのです。




 <第139話> ジェトロと大阪税関 その4 
2000年3月 大阪税関。
生まれてはじめて税関というお役所を訪ねました。「税」と「関」 という二文字は、何ともいえない威圧感を感じます。それは、警察 という二文字から受ける印象と変わらないような気すら受けます。

数日前のジェトロ、某財団法人、大手運輸会社で、私は様々な表情を浮かべた担当者と接してきました。その表情は、渋々・・・だったり、苦々・・・だったり、面倒・・・というような表情ばかりでしたから、私は大阪税関でどんな表情が見られるのだろうか?ということを想像しながら、あえて覚悟をしていました。

「結局、大阪税関でも適当にあしらわれて終わるのかもしれないな・・・」

大阪税関のロビーに入りました。窓口の担当者に声をかけ、私が知りたいことの一部始終を話しました。男性担当者の表情は、これまでに見たことの無い表情でした。私の話を真剣に聞いてくれながら、極めて余裕を持った紳士的な態度だったのです。

「なるほど。分かりました。それでは・・・」

と前置きした男性担当者は、私に数枚の簡単な用紙を差し出してくれました。ワインに貼り付ける日本語ラベルの表示内容と注意事項でした。お酒の種類、アルコール度数、容量によって、表示内容が微妙に異なることや、ラベルに記載する文字の大きさ、色、フォントまで細かく規定されていたのです。また、輸入前の書類提出の手続の段取りや、関税と酒税と消費税が上陸時にかかることと、その支払い方法などについて、この男性担当者が丁寧に教えてくれたのでした。

昨日の東京では、分厚い雲の隙間から顔を除かせた小さな青空が、このとき一面に広がったかのような感触を得ることができました。

「ありがとうございます! ほんとうに助かりました!」

「いえいえ、お安い御用です。 他に分からないことはありますか?」

涙が出るくらい親切な男性担当者の対応に狂喜していた私ですが、すぐに冷静に頭の中を整理しました。そして、まだ不明確な事項をすぐに思い出しました。

「もうひとつあります。食品添加物の検査内容について教えてください」

「お安い御用です!」 
男性担当者は、鸚鵡返しでそう答えてくれると思っていたのですが、初めて表情が少し曇りました。

「それは税関の担当では無いですね・・・」




 <第140話> 厚生労働省大阪検疫所
2000年3月 大阪税関。
「税関の担当ではない・・・」 と言われてしまった私は、再びうろたえました。

「やっぱり、ここでダメなのか・・・」 私の口元は妙にひきつっていたと思います。

「それは管轄が違うのです。税関ではなく検疫所で聞いた方が良いですよ」 
親切な係官は私を真っ直ぐ見て答えてくれました。

「け、け、検疫所?って、どこにあるのですか?」
「この建物の隣ですよ」

大阪税関の敷地内に検疫所があったのです。私はこれまで親切に対応してくださった係官にお礼を言うと、足早に隣の建物に向かいました。

厚生労働省大阪検疫所

何とも言えないくらい重圧感に満ちた看板が玄関の横に掲げられていました。受付で事情を説明し、審議官という肩書きの係官と相対しました。
先ほどまで親切な対応をしてくれた税関の係官と180度異なった40代前半の男性が私を足元から眺めるように視線を強烈に刺してきました。

言葉遣いや態度は、ザ・お役人 という言葉がぴったりなほどの人物でした。私の求める質問に終始、上から目線でしたが、しかし、的確な回答を得ることができました。

食品を日本に輸入する場合、生産国や原料、食品の品目によって、細かく分類された食品添加物の種類とその検査値が定められています。法律で定められた規定値をオーバーすると、輸入が認められません。また、日本の食品衛生法で使用が認められていない添加物が含まれた食品は輸入が認められません。ワインも同様に、食品扱いですから、そもそも日本で認められた規定値以下でなければならないのです。具体的な検査項目を知ることが出来た私は、これで全ての謎が解けたかのような気持ちに浸っていました。

「ようし!これで日本にワインを輸入する手続きが分かったぞ!」

私は再び早足になりながら、地下鉄御堂筋線の本町駅で下車し、近くの喫茶店に駆け込みました。大阪税関と検疫所で入手した書類を整理し、重要な事項をノートに書き綴りました。カナダに戻ったら、すぐに輸出の段取りが組めるように、その手続きのイロハをノートに書きながら頭に叩き込んでいったのです。




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