カナダ人が将来 住みたい憧れの町 ケロウナで・・・
疲れた心を癒しませんか・・・
これから先の人生に必要なヒントとエネルギーが必ず得られるはずです

  
  
  

滝澤のカナダ移住&起業への道のり

 <第141話> 輸入のための打ち合わせ
2000年3月 大阪浪速区。
大学時代に同じ野球部だった同期生の山中隆史と数年ぶりに再会しました。懐かしい昔話はそっちのけで、私たちはカナダワインのビジネスの組み立てについて意見をまとめました。

私がカナダからの輸出元、山中が日本での輸入元です。日本に輸入されたワインは、山中のお店の倉庫で保管します。注文に応じて、宅急便で全国に配送するという流れになります。山中は、ネット通販への取り組みに強い興味を抱いてくれていました。ちょうど、ネット通販が世の中の小売業の世界を劇的に変えるのではないか?と言われ始めた時代でした。既にネット販売用のホームページを私は作っていましたので、あとはいち早くカナダから輸出し、日本にワインが到着しさえすれば、事実上のスタートとなるわけです。

「で? いつから始める?」
「カナダに戻ったらすぐに輸出する!」
「どのくらいで到着するんや?」
「バンクーバー港から大阪南港まで約10日かかるそうだよ」
「なるほど」
「輸出手続と輸入手続を含めても、20日間くらいじゃないだろうか?」

おおよそのスケジュールは決まったものの、あとは実際にやってみなければ具体的な日数などは分かりません。

「よっしゃ!やろか!」
山中の勢いの良い声に背中を押されるように、私はこの瞬間、100%決断をつけたのでした。移住したケロウナという町で作られたワインを日本に輸出して日本で販売する!これは、紛れもない立派なビジネスの立ち上げでした。

カナダ産ワイン輸出販売業。

カナダに移住して丸1年になっていました。ようやく、ビジネスらいしビジネスの形が生まれつつあったのです。その夜、山中と私は数年ぶりの再会を懐かしみながら、同時にこれから始まるカナダワインの仕事の成功を祈って祝杯をあげたのでした。




 <第142話> いよいよ初めてのワイン輸出
2000年3月下旬。 カナダ・ケロウナ。セントヒューバータス・エステイトワイナリー。ワイナリーの倉庫の扉を開け、薄暗くひんやりした内部に私とビジネスパートナーの日系カナダ人ビクターが入ったのは、お昼ごろの時間帯でした。

3月下旬のケロウナは、すでに春の陽気に包まれ、ぽかぽかとした心地よい日差しが天高くから舞い降りてきていました。それに反するように、ワイナリーの倉庫は薄暗く、ひんやりとした空気に満ちていました。ワインの状態を管理するには、光と温度、湿度に気をつけなければなりません。なるほどなあ。と思いながらも、私にとっては何もかもが初めての経験でした。まず、私がもっともほれ込んだこのワイナリーのアイスワインを選定しました。これが一番の売れ筋になるんだ!という念力を込めながら、12本入りの箱を慎重に所定の場所に移しました。

次に白ワインと赤ワインの選定です。一通りの白ワインと赤ワインを試飲し、ワイナリーの在庫の量や、仕入れ価格を考慮しながら、白ワイン3種類と赤ワイン2種類を選びました。輸出用のパレットと呼ばれる木製の台座に12本入りのワインの箱を並べていきます。ワインはボトルの大きさが種類によって異なるので、12本入りの箱の大きさもそれぞれに微妙な違いがあり、それを考慮しながらパレットの上に並べます。容積の大きい箱が一番下の段になり、一番上の段にはアイスワインの12本入りの箱を並べます。すべてが初めての作業、経験でしたが、同時にすべてのことが勉強であり、知識であり経験になりました。

半日ほどかけて、2つのパレットに12本入りのワインの箱が積みあがりました。その外側を、大きなサランラップのようなビニールでぐるぐる巻きにして、積み上がったワインが崩れ落ちないように固定します。はじめて輸出するワインに占めるアイスワインの量が多かったため、もともと高額なアイスワインですから、仕入れ価格は総額で数百万円になりました。

「もし、これが売れなかったら?」 そう考えると不安が無いわけではありませんでしたが、私はそれ以上に「これが売れたら、面白いぞ!」 というプラス思考でしかありませんでした。ワイナリーから大阪までワインを輸送してくれるバンクーバーの輸出会社に準備が整ったことを伝えながら、カナダ側からの輸出、日本側での輸入に必要なそれぞれの書類の最終確認をしました。

「よし、これで完璧だ!」

数日後、ワイナリーからバンクーバーに向けてワインがトラックで運ばれていきました。その後、バンクーバー港から貨物船に乗せられて、アラスカ沖からアリューシャン列島を通りながら、大阪へ向かってワインは運ばれていったのです。




 <第143話> 第1便が日本に到着
2000年4月上旬。カナダ・ケロウナ。
「無事に到着したで!」 大阪の山中からうれしい連絡がメールで届きました。

私も山中も、そもそも貿易をするのは初めての経験でした。私がカナダからワインを輸出し、山中が日本で輸入するのですが、

「船が沈没しないだろうか?」
「日本で輸入を差し止められないだろうか?」
「そもそも無事にカナダから輸出されるのか?」

ワイナリーからワインを出荷した後は、無事に大阪の山中の店まで届くのかどうか?そればかりが心配な毎日を過ごしていました。そして、待ちに待った山中からの知らせを受けたのでした。山中も初めての経験だったので、輸入に際しての手続きに四苦八苦したそうですが、それでも無事にワインが山中の店の倉庫に到着したのですから、このときの喜びと安堵感は今でもよく思い出せます。

「箱は潰れてない?」
「うーん、隅の方が少し潰れてるなあ・・・」
「ワインは?」
「全部の箱を開けたけど、割れているのは無いで!」

ほっとしました。無事にワインはケロウナから大阪に運ばれたのです。考えてみれば普通のことなのかもしれませんが、何もかも初めての経験でしたし、何よりも初めてのワイン輸出という大掛かりなビジネスでしたから、この瞬間まで心配なことが山ほどあったのですが、とにかく私たちは無事にやり遂げたのでした。問題はここからです。ワインが日本に到着したわけですが、売れなければ話になりません。
 
カナダに住みながら、日本でワインを売る。このビジネスモデルにチャレンジするわけです。もし、これが上手くいけば、私にとって理想的な仕事になるのですから、何としても成功させなければなりませんでした。販売方法は限られていました。体がカナダにあるわけで、売り先は日本の市場ですから、歩き回って営業することができません。手段はただひとつ。インターネットだけでした。

果たして売れるのか? という不安はありましたが、ちょうど時代がネット販売に向って世の中全体がゆっくりと動き出していたころでした。
 
「きっと上手くいく!」 (ような気がしていました)




 <第144話> ワインが少しずつ売れ始める
2000年4月。 カナダ・ケロウナ市の自宅。自宅のオフィススペースに陣取った私は、パソコンの画面に向き合い続けていました。
 
「ようし!これからワインを売ることが本業になるぞ!」

ケロウナから出荷したワインは、大阪のやまなか屋の倉庫に保管されているわけですから、注文が取れれば、大阪から宅配便でお客さんに発送するという仕組みが出来上がったわけです。いわゆる商売を行うにあたって必要なプラットフォームを完成させていましたから、ここからは迷うことなくワインの実販売に取り組むだけです。

方法は極めて単純明快でした。私はカナダにいますから、売り先が日本の個人が対象です。足を使っての営業はできません。完全にネット販売に特化するしかありませんでした。2000年当時、まだネット通販は現在ほど隆盛を極めておらず、どこか不安定で不確かなものというイメージが付きまとっていました。

SNS、ブログ、フェイスブック、ツイッターなどが登場する前の時代であり、ネット上にはホームページしかなく、BBS(掲示板)が情報交流の場でした。ワインやカナダに関連するBBSの管理者から許可を頂いた上で、カナダ産ワインの話を書き込んでいくという地道な作業を朝から晩まで続けていきました。

少しずつですが、しかし、確実に反応するかのように、私が作成したカナダ産ワインの販売サイト 【わいん@カナダ】 http://shop-canada.com/ のアクセスが増えていきました。そして、ワインの注文がホームページを通してメールで届くようになりました。届いた注文内容を整理し、大阪の山中にメールで伝え、宅配便で送るという流れが確実に出来上がっていくことを感じ取りながら、手ごたえをつかんでいきました。

新しい仕事をゼロから発想しながら作り上げ、実際にそれが商売として成り立っていく過程を、カナダ産ワインのビジネス化を通じて、私は体験していったのです。これは、とても味わい深く、感動的であり、大変おもしろい仕事でした。

「新しいことを自らの発想で形にする」 ということのダイナミックさや、面白さを私は知ってしまったのです。

それ以降、私は現在に至るまで、全くのゼロベースから新しい仕事を作り上げることを楽しんでいます。




 <第145話> 産地に住んでいる強みを活かす
2000年7月。カナダ・ケロウナ。カナダ産ワインを日本に輸出し、日本で販売するにあたって、大きな壁がありました。それは、価格と知名度でした。すでに日本には海外産の安いワインが溢れていました。また、カナダでワインが作られているとうことは、日本で全く知られていませんでした。カナダのワインは価格的に安いものではなく、高いものでしたから、普通の方法では誰も見向きもしてくれませんでした。

商売は売り手と買い手が存在し、はじめて成り立ちます。私にとって、買い手となる消費者がどこにいるのか?を探すことが最も大切な発想でした。消費者が、「買いたい!」と思う動機を見つけること、作り出すことをしなければ、いくら品揃えをしても、いくらホームページ上で綺麗に見せても、売れません。
私が考えた方法論は以下のようなものでした。

 ・ 自称ワイン愛好家はカナダ産ワインを買わない
 ・ 彼らはフランスやイタリアのワインが一番良いと思い込んでいる
 ・ そういう人にいくらカナダ産ワインを説明しても見向きもしてくれない
 ・ しかし、カナダが好きな人なら、カナダのワインに興味を持ってくれる
 ・ なぜなら、彼らはワインが好きなのではなく、カナダが好きだから
 ・ カナダが好きな方は、ワインを買うならカナダのワインを買うはずだ
 ・ なぜなら、彼らはカナダが好きだらか

私は徹底的にカナダが好きな人が集まるサイトやBBSに投稿をしました。その際に、単にワインの宣伝をするのではなく、私自身がカナダに移住した経緯や、ワインの仕事を立ち上げた理由などを伝えていきました。

反応は敏感に現れました。そして、カナダに移住した私自身のことや、日本では知られていないケロウナという町に興味を持つ方々が増えていったのです。それに呼応するかのように、ワインの販売は確実に伸びていったのです。私はたたみ掛けるように、「ケロウナに移住した私」にテーマを絞って、ホームページで詳しく公開していきました。さらにたくさんの方々から、いろいろな内容のメールを頂戴するようになり、結果的に数多くの見込み客を獲得していくことができました。

目の前の人に、すぐにワインを売ろう!という行為は、消費者から見た場合、「ワインを売りつけられる」という、ある種の押し売り行為のように感じられてしまいます。そうなってしまっては、せっかくの見込み客が逃げていってしまいます。誰だって押し売りを好む人はいません。地道な作業を繰り返しながらも、確実にワインを購入してくださるお客さんが増えていきました。




 <第146話> 楽天市場への出店
2000年10月。東京都目黒区。日本に出張した私は、兼ねてからアポをとっていた楽天市場の本社ビルに向かいました。このころ、時代は確実にネット販売を後押しし、インターネットを利用した通販市場が勢いを増し始めた時期でした。楽天市場の担当者に、私たちが立ち上げたカナダ産ワイン専門サイト【わいん@カナダ】の出店に関わる事情説明を行い、出店申請書類を作成しました。
 
翌月には、楽天市場に【わいん@カナダ】として出店を果たすことができ、ちょうど年末年始に入るところだったこともあり、出店直後から注文が相次ぎました。クリスマス商戦に向けて日本に輸出したアイスワイン、白ワイン、赤ワインが大阪に到着し、十分な在庫を確保した状態で、2000年のクリスマスシーズンを迎えたのです。楽天に出店したホームページもきちんと仕上げ、こまめにメールでフォローアップする作業を繰り返す日々でしたが、それに呼応するかのように、注文が入ってきました。楽天に出店した直後の12月は、予想をはるかに超える売上を作ることができ、私自身、カナダ産ワインを日本で売るビジネスの組み立てが十分できるという手ごたえを感じていました。

季節は冬になり、私たちは2回目のカナダの冬を迎えました。カナダの冬は暗く長く続きます。油断をしていると、退屈な毎日を送るだけになってしまいますが、
私たちはワインを仕事にすることができたおかげで、長い冬を活かすことができたのです。日本でワインが一番売れる時期は、クリスマスシーズンでした。11月12月がもっとも良く売れ、全体的に冬場のシーズンの売上が年間の半分以上を占めていました。反対に夏はそれほどでもありませんでした。これは日本の酷暑猛暑が影響しているためで、ワインよりも冷たいビールが売れる時期ですから、ワイン販売のビジネスにおいては、冬が忙しく、夏は忙しくない、というルーティーンになっていることを私は敏感に察知しました。

これは大変にありがたいことでした。夏のシーズンは、日本からさまざまな目的でお客さんが来ますから、そちらの仕事で忙しくなります。冬はワインが中心の仕事になります。もちろん、ワインもツアー業務も、年中やっているのですが、そのバランスが季節に応じてきちんと区分けされるかのようでしたから、無理なく仕事をこなしていくことができたのです。ワイン輸出ビジネスをスタートして、1年が過ぎたころには、すっかりこのビジネスに対しての自信を高めていくことができ、自分の主業務のひとつは「カナダ産ワインの輸出販売業なんだ!」と堂々と言い切れるようになっていました。

振り返れば、偶然の出逢いだったアイスワインを、日本に輸出して販売するというビジネスを立ち上げ、形にできたことは、奇跡だったと思います。



 <第147話> ケロウナでの生活と仕事が軌道に乗り始める
2000年12月。カナダ・ケロウナ。1999年3月にカナダに移住した私たちは、郊外の住宅地にある一軒家を借りて住んでいました。私と妻、そして愛犬の2人と1匹のコンパクトな家族構成でしたので、寝室が4つもあるような一軒家は広すぎて使い勝手の悪い家になっていきました。

2000年当時、カナダの景気は不景気から、やや上向き始めた頃で、それから2008年9月のリーマンショックまでに向かって、景気が良くなり、住宅価格も上昇していったのです。私たちは、住宅価格が上向く直前の2000年7月にケロウナ市中心部に建つコンドミニアムを購入しました。今思うと、当時の価格だったので、私たちでもローンを組んで購入することができたのですが、もし3年遅れていたら、手が届かないものになっていたと思います。

立地は最高の場所でした。目の前にオカナガン湖が広がり、建物の玄関を出るとすぐに湖畔公園の入り口でした。隣にはケロウナで最大規模のリゾートホテルがあり、適度な賑やかさでいつも満たされていた場所でしたから、私たちもこの環境を毎日のように楽しんでいました。お客さん用の寝室は1つだけでしたので、1組限定ということで、日本から来られる方々からご希望があればお受けするようにしたのです。最初は軽い気持ちで始めたのですが、予約がどんどん入ってきました。

特に春から夏、秋にかけてのシーズンには、ワイナリーツアーを目的にした日本からのお客さんが来られ、私は毎日のようにワイナリーを案内して回りました。
ケロウナを中心とするオカナガン地方には、当時は大小50以上のワイナリー(2012年時点では80以上)が点在していましたから、ワイナリー巡りには全く困りませんでした。また、ワイン輸出販売業を主体にしていた私にとって、オカナガン地方のワイナリーに出入りすること自体が、非常に良い勉強の機会になったのでした。

2001年からは、さらに拍車がかかり、春から夏、秋は大勢の日本人の個人旅行のお客さんをお迎えし、冬はワインの販売業務の処理作業で、妻と二人で朝からパソコンに向かうという仕事のパターンになっていったのです。




 <第148話> ゴルフとスキー! それを仕事に!
2001年4月。カナダ・ケロウナ市。この当時、ケロウナ市内には、9ヶ所のゴルフコースがあり、初心者初級者のゴルフコースを含めると、13ヶ所に及んでいました。市内から車で15分の範囲に、これだけのゴルフコースが集中している町は、世界的に見ても珍しく、それは、ゴルフリゾートの町と言って良いレベルです。また、市内から車で1時間半ほどのところに、カナダを代表する2箇所のスキーリゾートがあります。いずれも、滑走可能なゲレンデ面積とコースの数においては、カナダでトップ10に入るほどの大規模なスキーリゾートです。

ケロウナという町の魅力は、ワインだけに限らないことは、すでに私は熟知しながら、そして個人的に体感していましたので、この町の魅力や楽しさをアピールする次のステージを考え始めました。それは、ケロウナのゴルフとスキーでした。ワインの販売が軌道に乗り、並行するように日本からワイナリーツアーで訪れるお客さんが増えていくにしたがって、私は次の目標に定めたゴルフとスキーをビジネス化する計画を一人で考え始めました。

世の中にはいろいろな仕事があり、さまざまな職業があります。自分が一番好きなことを仕事にできるという機会は、なかなか得られないのが現実かもしれません。また、往々にして、一定規模の組織に入ってしまうと、好きなように仕事を進めたくても、自分の思うように仕事ができないということの方が多いのだろうと思います。私はカナダに移住して、最初から個人起業でしたから、そもそも誰かから指図や命令を受ける立場ではありませんでした。しかし、同時に全ての責任を負う立場でもありました。

ということは、「やってダメなら諦めもつくだろう」という心境に至ることができたのだろうと思います。その結果、私が好きなゴルフとスキーを仕事にすることを計画したのでした。
問題や課題はたくさんありました。例えば、いくら私がケロウナが良い町だ!と訴えても、その告知力は小さいものでしかありません。ということは、大きな団体やグループを求めることは困難になります。また、そうした大掛かりな団体を相手にすると、いろいろとやりにくい面も見えてきました。

答えを出すまでに、さして時間はかかりませんでした。私は全てのプランについて、個人ベースか、小グループのみで対応することにし、その全てをプライベート化したのです。つまり、知らないお客さんが一緒になることが無いという仕組みでした。




 <第149話> ホームページで営業開始
2001年4月。カナダ・ケロウナ市。さっそく、ホームページにゴルフとスキーのプランについてのページ作りを開始しました。それまでに、ゴルフもスキーも、十分に楽しんでいた私は、デジカメで多くの写真を撮っていましたので、それらの写真を存分に使いながら、ホームページ作りに熱中していったのです。そのころ、以前からお世話になっていたカナダ人の知人から、ある相談を受けました。その方は、ケロウナ市内にいくつかのビルを所有していました。ダウンタウンのメインストリートに2階建てのビルがあり、1階はカフェでした。2階は、その方の個人事務所とアトリエだったのですが、そこを改装してゲストハウスにするというのです。
 
その際、日本人の旅行者で使いたい方がいれば、ここを宿泊施設として利用してもらえないか?というものでした。私は快諾しました。これにより、直営の宿泊施設を得たことになりますから、私にとって大変有り難いお話だったのです。すでに家具類も全てすえつけられていましたから、すぐに利用が可能でした。私はこのゲストハウスの室内写真を撮影し、この部屋の宿泊予約ページを作成しました。2001年は、春から慌しく動きがあり、それに呼応するように、日本からケロウナに来られるお客さんの予約がネットを通して入ってくるようになりました。

その後、4月から10月までは、ほとんど空いている日が無いくらいに、忙しい日々が続くことになります。このころは、日本から来られるお客さんのうち、ワイナリー目的が70%、ゴルフ目的が30%ほどでしたが、年々、ゴルフのお客さんが増え続け、やがてほとんどのお客さんがゴルフ客で埋まるようになっていったのです。そうなると、必然的に私のゴルフの回数も多くなっていきます。ここが大きなポイントです。普通、旅行会社が企画し販売しているゴルフツアーというのは、以下のようなものです。

・ ゴルフの予約を取っておく
・ 宿泊場所からホテルまでの送迎
・ チェックインからスタートの1番ホールまでの案内
・ 終わった頃に迎えに来る

というものです。とういうことは、お客さんだけでゴルフをするわけです。しかし、これには無理がありすぎる!というのが私の考えでした。それでは、どうすれば良いのか・・・・?




 <第150話> ゴルフ企画のコツとポイント
旅行会社が企画するゴルフツアーは、まず第一に利益を確保することにあります。利益を確保するためには、極限まで無駄を省くわけです。その結果、必要最低限のことしか組み込みません。したがって、お客さんだけでゴルフをすることになるのです。私はここにも大きな矛盾と問題を感じていました。まず、日本人が常識だと思っている「ゴルフのマナー」は、世界の非常識だということです。どういうことかというと、日本人はゴルフを始めた当初、誰かからマナーを教わってきています。その誰かとは、誰なのか?

おそらく、ゴルフをしている友人や知人、あるいは初心者ゴルフ教室の先生かもしれません。いずれにしても、「正しいマナー」を知らない人たちによって、間違ったマナーを教わってしまっているのです。それは、日本では正しいと思われるマナーかもしれませんが、海外では通用せず、非常識であり、ゴルフ場や、現地のゴルファーに多大な迷惑をかけることになるのです。しかし、日本人のツアー客はそれを知りませんから、結果として悪気は無いものの、現地に迷惑をかけている、ということになります。

これの一番の責任は、そうした安易なツアーを催行する旅行会社です。私はこの点を最も重要視しました。私が行っていたゴルフプランは、初心者、初級者、上級者問わず、海外でのマナーを身につけていただいています。そして、プライベートツアーですから、必然的に私が同行し、一緒にゴルフをするわけです。私にとっては、仕事がゴルフになるのですから、こんな楽しいことはありません。一方のお客さんは、初めてのコースで不慣れな点を私がカバーしますから、言葉の問題も含めて、心配事が全て無くなりますので、カナダのゴルフに集中することができます。

このような場合、たいていはゴルフ好きのご夫婦がお客さんの半数以上を占めていました。ご夫婦の次に多かったのは、ゴルフ大好き!という方が単身で来られるパターンでした。また、ワイナリツアーとゴルフツアーのお客さんには、決定的な違いがありました。ワイナリーツアーはリピーターにならないが、ゴルフツアーはリピーターになるのです。ワイナリーツアーのお客さんは、すごく楽しんで喜んで下さっても、次の旅行はイタリアか? オーストラリア? それともフランス?という具合に、基本的にはたくさんのワイナリーを見たいわけです。

ところがゴルフは違います。美しいケロウナのゴルフコースで、思うような実力が出せません・・・ それは無理もないのです。時差ボケもあり、長旅の疲れもあり、初めてのコースですし、外国特有の雰囲気もあります。日ごろの実力が出せないことから、「ちくしょう!来年はリベンジだ!」という思いに駆られます。そして、また来てくださるのです。いずれにしても、こうしたゴルフ愛好家に支えられながら、私のゴルフライフも充実したものになっていったのでした。




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