カナダ人が将来 住みたい憧れの町 ケロウナで・・・
疲れた心を癒しませんか・・・
これから先の人生に必要なヒントとエネルギーが必ず得られるはずです

  
  
  

滝澤のカナダ移住&起業への道のり

 <第151話> ほとんど毎日がゴルフの生活
2002年5月。カナダ・ケロウナ市。日本から来られるお客さんは、私たちが運営していたダウンタウンのゲストハウスか、我が家にお泊り頂くか、どちらかを選択していただき、日中は私がケロウナの町をご案内していました。

ゴルフ目的のお客さんの場合は、概ね以下のようなスケジュールでした。

 ・ 朝食を済ませて出発
 ・ ワイナリーを2〜3箇所巡る
 ・ 昼食 (観光客は絶対に行かない、行けない穴場)
 ・ 午後からゴルフ

というようなパターンで、午前中はワイナリーを中心にケロウナ市の魅力的な場所にご案内し、昼食後にはゴルフをしました。これか、もっともオーソドックスなパターンでしたが、ゴルフだけが主目的のお客さんの場合は、午前中にゴルフをし、昼食後に違うゴルフコースに移動して、午後もゴルフをしますので、1日2回のゴルフを楽しむプランにしていました。もちろん、私がずっと同行していますから、お客さんは安心ですし、私は1日2回のゴルフを満喫していたのです。このころになると、どのゴルフコースに行っても、ゴルフ場の従業員や係員たちが私の顔と名前を覚えてくれるようになり、

「今日も仕事(ゴルフ)かい?」
「なんて仕事(ゴルフ)熱心な奴なんだ!」
 
と笑われるようになりました。ケロウナに住んでいる日本人が少ないこともありますし、大手旅行会社がツアーに入っていないケロウナですから、そもそも、ゴルフ場に行って日本人を見かける、ということは皆無に近いのです。その分、日本人である私の存在は目立っていたのだろうと思います。

連日のゴルフを繰り返すわけですから、ゴルフコースはもちろんのこと、各ホールの癖や特徴も熟知していくようになりました。そりゃそうだと思います。月1回のゴルフと違って、ほぼ毎日ですから、どのゴルフコースに行っても、細かい設計図が分かるかのように、まるで透き通っているかのように熟知できるようになりました。

私はプロではありませんが、しかし、ケロウナのゴルフコースを案内(キャディ)させたら、私の右に出る人はいない!と自信を持って言えるほどの実感を深めていったのです。この自信が、ケロウナでのゴルフツアーを続けるだけの大きな材料になっていたと思います。そして、私はますますケロウナでのゴルフライフに身を投じるようになったのでした。




 <第152話> 出来上がってきた仕事の形
2002年7月。カナダ・ケロウナ市。カナダに移住して3年が過ぎました。長かったような、あっという間だったような、その全ては日本を飛び立つ前には、全く想像できなかったことばかりでした。

カナダに移住して起業する! という意気込みだけで日本を飛び出したようなものですもちろん、移住する直前まで、あらゆることを考え、いったい何を仕事にできるのだろうか?と思い悩む日々を日本で過ごしていましたが、簡単にビジネスのアイデアが見つかるほど世の中は甘くありません。結局のところ、私は「見切り発車」したようなものでした。

「行ってみなけりゃ分からない!」

振り返ってみると、何とも無謀な船出でしたが、その船出から早いもので3年が過ぎたのでした。このころになると、仕事のパターンが出来上がっていました。春、夏、そして秋の季節は、日本からケロウナにお客さんがお越しくださいます。ワイナリーツアー、ゴルフツアー、その他の目的で滞在される方々をご案内するのが日中の仕事でした。また、冬はスキー、スノーボードのお客さんがいらっしゃいました。帰宅すると、その日、ネット上から注文が入っていたワインの受注処理を妻が済ませていました。夕食を済ませてからは、パソコンに向かってワインの販売活動を繰り返します。メルマガや楽天のシステムを使いながら、ひととおりの販売活動を終えて就寝します。

翌朝、メールチェックをすると、楽天市場経由でワインの注文が入っていました。日本からのお客さんがいない日は、受注処理をし、書類整理などの細かい作業をします。それでも時間はたっぷりあるので、愛犬を連れ、妻と近所の公園を散歩することが日課となっていました。自宅オフィスですから、出勤する必要がありませんから、結果的に朝起きてから夜寝る間で、なんらかの仕事をずっと行っていたことになります。曜日はいっさい関係ありません。これでは、いったいいつ休むのか?と思われる方もいるかもしれませんが、仕事の日と休みの日が、まったく存在していないのですから、ストレスがたまらないように、おのずと好きなことしか仕事にしないようなライフスタイルになっていったのです。




 <第153話> 大手と競わない市場
2002年8月。カナダ・ケロウナ市。日本からカナダに来られるお客さんを相手にしたビジネスの場合、多くは旅行観光業者がひしめいていますから、必然的にお客さんの取り合い、奪い合いになります。いうまでもなく、大手旅行会社がその主導権を握っている業界ですから、まともに大手と競うことに意味はありません。大手旅行会社は、抜群の価格優位性を持っていますから、彼らと同じ土俵で戦おうとしても勝ち目がありません。同じ土俵というのは、

・ 大口団体旅行
・ 有名観光地や有名観光ルート

です。大手がすでに仕掛けているところで、同じようなことをしても無理なのです。私がラッキーだったのは、ケロウナという町だったからでしょう。ケロウナには、大手旅行会社が入っていませんでした。広大なカナダですから、観光地や観光ルートは絞られてきます。大手が手掛ける観光地は、ロッキーとナイアガラです。この2つがカナダの2大観光地でありルートなのです。

それ以外では、バンクーバー、ビクトリアが1日観光か半日観光に含まれる程度ですから、ケロウナなどというのは全くの未開拓ゾーンなのです。そのことだけでも私にとって大変有利に働きました。なぜなら、カナダを一度訪れた日本人の方は、たいていの場合において、「まだカナダに来たい!」と感じます。カナダはリピート率の高い旅行先なのです。何度もカナダを訪れているうちに、一般的なツアーコースから外れたところ、つまり、「自分がまだ知らないカナダ」を探し求めるようになり、インターネットでその場所がどこなのか?を探し始めるのです。

その時に、「ケロウナ・・・?」
を知ることになった人たちが、私のお客さんになってくださったのでした。このパターンを確実なものにするため、ホームページには徹底的にこだわりました。特に「写真」です。四季折々のケロウナの風景をデジカメで撮影し、その中からさらに厳選した自信作である写真をホームページで公開していったのです。

ケロウナの風景は、確かにどこを撮影しても絵葉書のような美しさで彩られていました。オカナガン湖、点在するワイナリーとブドウ畑、吸い込まれるようなゴルフ場の芝の青さ・・・ そうした写真は、ケロウナの魅力を伝えるための重要な要素になっていました。お客さんからの予約は、すべてホームページを通して頂いていました。はじめてのケロウナの町について、様々な相談や質問を頂きながら、出発までに不安を払しょくしていただけるようにつとめながら、確実にケロウナに来られるお客さんの数は増えていったのです。

決して狙い澄ましたわけではないのですが、偶然にもケロウナという町が大手旅行会社が入り込んでいないところだったため、ケロウナという町に興味を示した方々は、必然的に私を頼ってこられるようになっていました。




 <第154話> 意外に多かった単身者
多くの日本の方々がケロウナに来られるようになりましたが、意外と多かったのは、単身の方でした。ゴールデンウィークや夏休みのシーズンは、家族連れのお客さんが多かったものの、通常のシーズンは圧倒的に単身の方が多かったのです。有給休暇を取って来られた方、転職までの間を使って来られた方、家族を残して自分ひとりで来られた方、みなさん事情はいろいろですが、こうした単身旅行の方が大変多くいらしてくださいました。そうした方々のお話を聞いて、「なるほどな」と思う点がいくつもあったのです。

・ 友達と来たかったが、お互いの休みの都合が合わなかった
・ 一人でホテルに泊まるのも味気ない
・ 一人で毎日毎食の食事も味気なく、食べるところを探すことが非常に面倒
・ 話し相手がほしい
・ 困ったとき、一人では不安

こうした特徴がありました。考えてみれば、私もカナダに移住する前に、一人でニュージーやオーストラリアを渡り歩いていたとき、同じような感覚を得ていました。当時、私が感じたことは、現地で生活している人から、直接いろいろなお話をお聞きしたい、というものでした。

同じように日本から単身でケロウナに来られる方々が、わざわざ我が家の宿泊プランを利用され、日中は私がケロウナの町を案内したり、ゴルフをしたりしながら、朝と夜は我が家で私たち夫婦と一緒に食事をするというのは、みなさん、同じようなお気持ちであり、同じような環境を求めていらっしゃるのだな、ということなのでしょう。通常、2泊〜5泊でご利用されるお客さんがほとんどでした。朝食を我が家で一緒に済ませ、その後、私と一緒にゴルフをしたり、ワイナリーを訪問するなどし、夜はまた我が家で食事をし、就寝までの間、いろいろなお話をします。

話の内容は旅行者としての目線のものではありませんでした。「あの湖がきれいだった!」、「お土産を買いたい!」、「ガイドブックに載っているレストランに行きたい!」といった話は全く出ませんでした。

話の内容は、全くの個人的なこと、プライベートなことでした。仕事のこと、将来のこと、家族のことが中心で、特に将来に対する不安を口にされる方が大多数でした。日本はバブル崩壊後、国内の雇用環境が悪化し、年金や医療などの社会保障制度が揺らぎ始め、そうしたことをマスコミが取り上げるようになった、ちょうどその時代だったのです。

単身で来られる方々から見た私たち夫婦というのは、そうした不安を抱えた日本という国から、いち早く脱出した立場のように見えていたのでしょう。




 <第155話> 個人相談が始まる
このように、単身でケロウナに来られたお客さんとの会話は、「将来に向けての処方箋作り」に似た内容でした。当然、かなりプライベートな話が多くなります。

・ 現在の仕事の立場と将来性
・ 家のローンや子供さんの教育費の話
・ 転職について悩んでいる話
・ 現在の資産内容と貯蓄計画や資産計画
・ 海外移住を熱望している話

当然のことながら、深いプライベートな話ですから、第三者には聞かれたくないわけです。これがもし、大手旅行会社が主催するツアーに参加していたら、同じツアーのお客さんの目や耳がありますから、このよな話は切り出せません。また、ツアーを案内するガイドさんに、このような相談を持ちかけても対応できるわけがありません。なぜならガイドさんの業務外のことだからです。ガイドさんは、観光地を案内するのが仕事であって、お客さん個人のプライベートな相談を受ける立場ではないからです。

また、このような個人相談は、往々にして財務、法務にかかわる話も出てきますので、そうしたことに精通した知識や経験がなければ答えようがありません。つまり、相談相手としては残念ながら不適格なのです。

一方の私は、こうした相談に対応できるだけの知識や経験を持っていましたので、お客さんとしては誠にありがたい相談者のように映ったと思います。もちろん、いい加減なアドバイスはできませんし、知りもしないことを知ったかぶって答えることもできませんから、誠心誠意、正面からお話を受けとめながら、分かる範囲でお応えするということでしかありませんでしたが、結果的に相談者として適格だという印象を持っていただけたと思います。

こうした単身の旅行者の方々は、いつしか相談者となり、何度もケロウナに訪れてくださるようになっていったのです。ワイナリーに到着したら、ワイナリーの説明やワインの試飲をするなど、これは見た目に観光ツアーですが、ワイナリーからワイナリーへ、あるいはゴルフ場へ移動する車の中で交わされていた会話はすべて相談業務でした。
中でも圧倒的に多かった相談内容は、

・ カナダへの移住について
・ カナダでの起業について
・ カナダでの資産運用や資産保全について

だったのです。こうした相談にこたえるためには、カナダと日本の比較論になります。両国の税務、法務について、大枠で捉えながら両国を比較し、どちらで何をすれば有利になるのか?を論理的に説明しなければなりません。

たとえば消費税について考えてみます。カナダは、私が住むBC州の消費税は12%です。一方の日本は5%です。 (注:2012年8月現在)よく、カナダに移住している日本人の人たちが、「カナダは12%で、日本は5%だから、カナダの方が高い!」と嘆いている声を聞きます。

本当にそうでしょうか? 名目数字の12%と5%を比べているからそう思うだけで、実際はそうではありません。重要なのはその中身です。それを知らないと、間違った判断になってしまい、間違ったことをお客さんに伝えることになってしまいます。各種税金や、社会保障の中身についても同様です。こうしたある種の専門知識を持っていることで、お客さんは「相談者」に変わっていくのです。




 <第156話> ロングステイのブームが到来する
2002年10月。カナダ・ケロウナ市。このころ、日本ではロングステイがブームを起こし始めました。この当時の為替市場は、円高が続いていたこともあり、日本と海外の物価の差(内外価格差)を利用して、円の価値を増大させ、海外で資産を有効に活用しようということが提唱され始めました。つまり、物価の高い日本から、物価の安い外国へ移り住み、同じお金でありながら、現地の安い物価で経済的に暮らすという生活スタイルが理想なのでは?ということでした。

これに呼応するかのように、様々なロングステイ団体が日本に立ち上がりました。個人レベルのものから、行政単位のものまで、その規模や内容は実に様々でした。同時に、ロングステイをテーマにしたテレビ番組も数多く散見されるようになりはじめたのも、ちょうどこのころだったのです。

確かに、その当時の日本の物価は高かったと思います。対する海外は、日本に比べると物価が安かったことも事実です。2002年当時ですと、一般的な物価(食料品、雑貨、エネルギー料金など)を比べた場合、カナダの物価は日本の物価の半分程度でした。これはカナダに限らず、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドも同様であり、マレーシアやインドネシア、フィリピンなどの東南アジアでは、10分の1、20分の1、という内外価格差が存在していました。

そうであれば、いっそのこと外国に移住してしまえば良いじゃないか!ということを考えがちですが、完全なる移住というのはなかなか難しいのです。相手国に移住するための永住ビザの取得は大変困難で、時間もかかりますし、申請要件は毎年厳しくなる傾向なのです。

そこで考えられたのが、あえて相手国の永住ビザを取得せず、観光滞在許可範囲(ノービザまたは観光ビザ)で、外国に住むという方法論で、これをロングステイと称します。この場合、就労、就学ができません。また、その国の社会保障制度の対象外となります。つまり、外国では毎日のんびりと暮らす、というだけに限定されます。しかし、一見たいくつそうに見えるものの、ストレス社会の日本で暮らしていると、海外で何もせずにのんびり暮らすことは、とてもバラ色に見えてしまう方が大多数を占めていたようです。



<第157話> あるロングステイ団体との出会い

2002年11月。東京。いつものように日本に出張した私は、以前から依頼を受けていたロングステイ団体の責任者と顔を合わせました。60歳前の男性で、偶然にも郷里が同じだったこともあり、話が弾んだことを今でも良く覚えています。こうしたロングステイの団体は、世界各地でロングステイ希望者を受け入れてくれる先を探していました。それは、どんな国でも歓迎され、どんな内容でも同じように歓迎されました。彼らは、同業他社より有利に立つために、ロングステイを希望する顧客に対して、大きな風呂敷を広げたいわけです。

「ハワイもありますよ」
「オーストラリアもありますよ」
「カナダもありますよ」
「アフリカの●●●国もありますよ」

という具合に、見せることができるメニューが多ければ多いほど良かったわけです。ここに、中小零細の旅行会社も参入しはじめ、様々なツアーに「ロングステイ」が付けられるようになっていきました。やがて、本来のロングステイの意義よりも、商売としてのロングステイが横行し始めました。

東京で相談を受けたロングステイ団体の責任者から、「ぜひ、ケロウナでのロングステイについて協力してほしい」 という依頼を受けた私は、特に断る理由もありませんでしたし、ロングステイというキッカケがご縁となり、多くの日本人の方々がケロウナに来ていただけるのであれば、これは有難いお話だということで快諾したのでした。

その団体から求められるままに、ケロウナの情報を伝えていきました。その情報は、私と同じように他国に住み、この団体に協力している現地の日本人から発せられた情報と一緒になって、彼らのホームページや会報誌に掲載されていったのです。これによって、より多くの日本人の方々に、カナダのケロウナという町の存在に気が付いていただける一つの窓口になれば良いな、というのがこのときの私の願いだったのです。

2002年が終わり、2003年に移るころ、ロングステイのブームはピークを迎え始めたのです。ロングステイ関連の雑誌が書店に数多く置かれはじめ、テレビでは特集番組が放送されていきました。それらの雑誌や、テレビ番組を録画してもらったVTRを観ているうちに、だんだんとロングステイが別の方向に進んでいることを感じ始めたのです。やがて、私の心の中に大きな疑問が浮かび上がってきました。

「ロングステイって、本当に良いのだろうか?」 という疑問でした。そして、その疑問に向き合う中で、もし、自分の親が外国へロングステイをしたい!と言いだしたら、私はどう答えるだろうか?という質問を自分に浴びせました。迷うことなく、「やめたほうが良い」というのが、私の答えだったのです。




 <第157話> あるロングステイ団体との出会い
2002年11月。東京。いつものように日本に出張した私は、以前から依頼を受けていたロングステイ団体の責任者と顔を合わせました。60歳前の男性で、偶然にも郷里が同じだったこともあり、話が弾んだことを今でも良く覚えています。

こうしたロングステイの団体は、世界各地でロングステイ希望者を受け入れてくれる先を探していました。それは、どんな国でも歓迎され、どんな内容でも同じように歓迎されました。彼らは、同業他社より有利に立つために、ロングステイを希望する顧客に対して、大きな風呂敷を広げたいわけです。

「ハワイもありますよ」
「オーストラリアもありますよ」
「カナダもありますよ」
「アフリカの●●●国もありますよ」

という具合に、見せることができるメニューが多ければ多いほど良かったわけです。ここに、中小零細の旅行会社も参入しはじめ、様々なツアーに「ロングステイ」が付けられるようになっていきました。やがて、本来のロングステイの意義よりも、商売としてのロングステイが横行し始めました。

東京で相談を受けたロングステイ団体の責任者から、「ぜひ、ケロウナでのロングステイについて協力してほしい」 という依頼を受けた私は、特に断る理由もありませんでしたし、ロングステイというキッカケがご縁となり、多くの日本人の方々がケロウナに来ていただけるのであれば、これは有難いお話だということで快諾したのでした。

その団体から求められるままに、ケロウナの情報を伝えていきました。その情報は、私と同じように他国に住み、この団体に協力している現地の日本人から発せられた情報と一緒になって、彼らのホームページや会報誌に掲載されていったのです。これによって、より多くの日本人の方々に、カナダのケロウナという町の存在に気が付いていただける一つの窓口になれば良いな、というのがこのときの私の願いだったのです。

2002年が終わり、2003年に移るころ、ロングステイのブームはピークを迎え始めたのです。ロングステイ関連の雑誌が書店に数多く置かれはじめ、テレビでは特集番組が放送されていきました。それらの雑誌や、テレビ番組を録画してもらったVTRを観ているうちに、だんだんとロングステイが別の方向に進んでいることを感じ始めたのです。やがて、私の心の中に大きな疑問が浮かび上がってきました。

「ロングステイって、本当に良いのだろうか?」 という疑問でした。そして、その疑問に向き合う中で、もし、自分の親が外国へロングステイをしたい!と言いだしたら、私はどう答えるだろうか?という質問を自分に浴びせました。迷うことなく、「やめたほうが良い」というのが、私の答えだったのです。




 <第158話> ロングステイの勘違い その1
2003年5月。日本のロングステイブームはますます隆盛を極めるかのような時代になってきました。2時間の特別番組で海外ロングステイがテレビ放送される頻度が目立ってきたのもこの頃です。

・ 激安! ○○○○○国で1ヶ月10万円の海外暮らし
・ 年金で暮らせる海外特集
・ 安く暮らせる海外生活のコツ

こうした内容は、テレビや雑誌を通して、日本に住む人たちの目や耳に触れられるようになっていきました。それに呼応するかのように、私のホームページを介して、ケロウナでロングステイをしたいという相談者からのメールが続々と増えてきました。私は何かスッキリしない気持ちを抑えながらも、ケロウナでロングステイを希望する相談者の方々からいただいたメールに対応していきました。しかし、それらのメールを読むうちに、「こりゃダメだな・・・」 と思い始めたのです。メールに書かれてある質問や要望は、揃って同じパターンでした。

・ できるだけ安い家賃のコンドミニアムを希望
・ それは、環境が良く、安全で、清潔であること
・ 1ヶ月の生活費はいくらか? 限りなく安いことが条件

というように全てが、「金」、「カネ」、「金」、「カネ」、「金」、「カネ」、「金」、「カネ」、「金」、「カネ」・・・だったのです。確かに、モノを購入する場合も、有料のサービスを受ける場合も、支払う金額がいくらなのか?ということは重要ですし、少しでも割安に抑えたいというのは誰にでも共通した欲求です。しかし、私が違和感を覚えた理由は、価値の比較を度外視した、ある種の激安商戦を望む声ばかりだったからです。

東南アジアの物価と、カナダの物価を比較し、安い方が良いというような一面的な思考に捉われる方々が続々増えていったのです。高いより、安いほうが良い。全てがこの感覚になってしまうために、高い生活費がかかる国よりも、安い生活費で済ませられる国の方が良い。
こうしたことに対して、「あれ?何か変だそ」 と感じる日本人がびっくりするくらい少ない事実を私は驚きをもって知ることになったのでした。




 <第159話> ロングステイの勘違い その2
この地球上にはたくさんの国があり、さまざまな人種、多彩な文化、宗教、政治、経済活動が行われています。説明するまでも無く、その国が持つ経済力は国民の富に反映され、そして物価に大きな影響を与えます。ひとつの基礎的な経済原則として最も分かりやすいものは、

「GDPの高い国の物価は、GDPが低い国の物価よりも高くなる」

ということです。大学で経済学を学んでいる学生さんなら、すぐに理解するでしょうし、世界経済や流通、金融に興味のある人なら、すぐに理解する内容です。さらに、「給料と物価は相関関係にある」ということです。GDPが高い国は生活先進国であるといえます。これに該当する国は、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、EU諸国、北欧諸国、中東産油国、シンガポールなどで、日本も含まれます。
 
これに対して、GDPが低い国には東南アジアの国々が含まれるのですが、日本のロングステイブームは、この東南アジアの物価をいつの間にかバロメーターにしてしまいました。そして、ロングステイを望む人たちは、東南アジアの物価よりも高い国には行こうとせず、ひたすら安い国、安い地域を求めるようになっていったのです。それはまるで、新聞の折り込みチラシを見比べながら、1円でも安いスーパーを選択するかのような光景でした。しかし、これには大きな落とし穴があるのです。

もっとも代表的なものは、「家賃」です。 日本では、家賃が安くなればなるほど、

・ 最寄り駅から遠くなる
・ 建物が古い
・ 間取りが狭い

という理由が付帯されます。一方、外国では家賃が安くなればなるほど、

・ 治安が悪くなる
・ 近隣住人の質の低下
・ 衛生環境の悪化

ということになります。これは生命や財産を脅かされるリスクに直結するわけです。従って、海外で暮らす場合、その国、都市、地域の平均相場よりもできるだけ上を求めることが生活安全上の常識なのです。しかし、日本でブームになってしまったロングステイは、こうした危険なリスクを無視するかのように、ひたすら「安さ」だけを追い求めていく結果になっていったのです。そうなると必然的に、カナダよりも「安い」国に人々の目が向くようになり、「カナダは高いから」と言われ、敬遠されるようになっていきました。

カナダが高いのではなくて、比較している国がGDPの低い国ですから、そもそも比較すること自体が間違っているのです。ただ、「安く暮らせる国はここだ!」 というテーマで、テレビの特番が繰り返し放送されるようになれば、大衆の視線は理屈や理由なき「安さ」を追い求めていくのでしょう。こうしたロングステイの変化は、私からロングステイに対する興味を失わせていったのです。そして、私はカナダ・ケロウナでのロングステイの受け入れを行わないようになったのでした。




 <第160話> 求める市場と現実のギャップ
2003年5月。カナダ・ケロウナ市。

「どうやって日本からケロウナに来てもらえるのだろうか?」

カナダに移住し、ケロウナという町で生活をし、仕事を立ち上げたからには、日本からお客さんに来ていただきたいというのが私の願いでした。

「海外ロングステイ」が脚光を浴び、それは旅行業界に差し込んだ明るい兆しでした。雑誌、テレビなどでさまざまな特集が組まれ始めた頃は、これでカナダにもロングステイのお客さんが来るだろう!という期待を抱いたのは私だけではなかったはずです。ところが、海外ロングステイの主目的がいつのころからか変わり始めました。

・ 年金だけで安く暮らせる国はどこ?
・ 物価が安い国はどこ?

こうしたことが全ての尺度になり、カナダは候補地から消されていくことになったのです。海外ロングステイは、東南アジアの国が主役の座を射止め、その他の国は見向きもされなくなっていったのでした。海外ロングステイは、本来、観光ビザ(またはビザ無し)で相手国に滞在できる期間を暮らすように過ごすということが目的ですから、安全が担保されている国であれば、全ての国々がその対象となります。しかし、現実は違いました。

この理由は何か? 私は考えてみました。結果的に、マスメディアが集中的にブームに押し上げた場合、それに該当する市場はそのブームの恩恵を受けることが出来ます。この場合、恩恵を受けた市場は東南アジアの国々でした。しかし、ブームの的となりうるべき市場から外れたところは、まったく集客ができないという結果になるということを身をもって知らされたのでした。

このことから、私は大きなメディアに頼ることは大変危険だな、ということを学んだように思います。それよりも、インターネットを通じて、個々の人々に興味を持ってもらうことの方が、より的確なマーケティングができるということにも気が付いたのが、ちょうどこの頃だったのです。ということは、世の中の流行やブームに関係なく、自分の目線で求める市場を作り上げることを優先すべきだということに行き着いたのでした。




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