カナ ダ人が将来 住みたい憧れの町で・・・
ゴルフとワインを楽しみながら・・・
じっくりと人生を見直しませんか



  

   

   

  

  

滝澤のカナダ移住&起業への道のり


 <第 211話> 心を動かすワイナリーの景色

ケロウナ市を中心とするオカナガン地方 には大小様々な ワイナリーが集積しています。
2016年時点で、その数は実に190カ所に達しています。

私がカナダに移住し、ケロウナで生活をスタートした1999年時点では、ワイナリーの数は、約50カ所でした。

16年ほどで、ワイナリーの数は4倍に達していることになります。
この流れはまだまだ続き、新しいワイナリーが今後も続々と誕生することでしょう。

こうなる要因は、ワイン用ブドウの育成に適した気候と土地があるためですが、もうひとつ、重要な要素があります。

それは、、、
風景です。

ワイナリーにとって、もっとも嬉しいことは、お客さんが自分たちのワイナリーに訪れてくれることなのです。
いくら大量にワインを生産して、大量に流通に乗せたとしても、それは工業製品と変わりません。

工場で大量生産する品物と違って、ワインは農産物ですから、必然的に食の安心安全を無視することはできません。
カナダのワインの魅力は、この食の安心安全に起因している要素が強いのです。

そうなると、作り手のワイナリーとしてみれば、いかに優れた環境の元で作っているワインだということを知ってもらう必要があります。

一方、わざわざワイナリーに行く訪問客の立ち場としてみたら、無機質な工場見学などは求めていません。
美味しいワインを飲めることは当然のこととして、その他の付加価値がなければ、
わざわざワイナリーを訪れる理由がありません。

その付加価値こそ、ワイナリーの環境そのものなのです。

広大なオカナガン湖を見下ろす事ができる斜面にブドウ畑が広がっています。
見上げると、真っ青なカナダの空が広がっています。
視線を落とすと、緑色に包まれたブドウ畑が広がり、その先に青く輝くオカナガン湖が見渡せます。

まさに極上の風景が視界いっぱいに広がっているのです。

この素晴らしく美しい景色に、多くの人々が心を動かされ、カナダ国内はもとより、アメリカ、ヨーロッパ各地からケロウナに訪れる人が増えている流れの中、 少しずつではありますが、日本人の皆様にもお越し頂けるようになってきました。

私は、このケロウナのワイナリーの景色を16年に渡って見続けてきましたが、まったく飽きることがありません。

春、夏、秋、冬、それぞれの季節によって表情を変えるワイナリーの景色というのは、いつ見ても、心を動かされます。





 <第212話> オリジナルなワイナリー ツアー

私がカナダに移住し、ケロウナで生活を 始めた当初、ケ ロウナを中心とするオカナガン地方には大小50カ所のワイナリーが集積していました。
その後、毎年のように続々と新しいワイナリーが誕生し、その総数は2016年現在で、約200カ所にまでふくれあがっています。

日本から来られたワイナリーツアーのお客さんを、ワイナリーにご案内する際、私は独自のプランニングを作成していました。

一口にワイナリーツアーと言っても、お客さんの希望は様々です。
限られた時間の中で、とにかくたくさんのワイナリーに行きたい方。
好みのワインを探したい方。
風景の良いワイナリーでゆっくり楽しみたい方。
ワイナリーの写真を撮影することが目的の方。

実に様々なご希望が寄せられてきます。
そうなると、画一的なコースでは対応しきれません。

しかし、これは私にとっても願ったり叶ったりの要望でした。
お客さんの希望に沿ってワイナリーを事前に選定していくと、必然的に新しくオープンしたワイナリーや、私自身がまだ行ったことのないワイナリーも組み込ま れます。

プライベートでは、なかなか行く事のできないエリアのワイナリーにご案内することで、私自身がオカナガン地方のワイナリーに数多く触れる機会に恵まれま す。

オカナガン地方は広大なエリアです。
その中心地がケロウナですが、ちょうどオカナガン地方の真ん中に位置しています。
ケロウナから北方面には、車で2時間の範囲。
ケロウナから南方面には、車で2時間半の範囲。

当然のことながら、とても1日では回りきれません。
初日はケロウナ市内周辺のワイナリーを巡ります。
2日目は北方面のワイナリーを巡ります。
そして3日目は南方面のワイナリーを巡るという行程を組みます。

ワイナリーに向う途中には、実に見事な景色の湖が広がっている場所が複数ありますから、ついつい車を停めて、絵はがきのような風景を眺めたり、地元の人し か知らないであろうカフェやレストランで休憩をするなど、ワイナリー以外の見所や楽しみ方も織り交ぜて行きました。

実地で経験を積んで行くと、より専門性が増してきます。
そして、いつの間にか、オカナガン地方のワイナリー巡りに関しては、日本人で私以上に熟知している人は恐らくいないだろう、という自負を得るまでになりま した。

すると、不思議な流れが起こるものです。
大手の旅行会社から、現地のワイナリーツアーのアテンド役を依頼される回数が増えてきました。
日系の旅行会社はバンクーバーに支店を設けていますが、オカナガン地方には支店はありません。
旅行会社の専属ガイドさんたちも、バンクーバーに住んでいる人ばかりなので、オカナガン地方のガイドが出来ないという事情もあり、必然的に私に声がかかる ようになってきました。

4月から10月までの7ヶ月間は、個人的にワイナリーツアーを求めて来られる日本からのお客さんや、大手旅行会社からの依頼などもあり、カナダ移住後の3 年目くらいからでしょうか、ワイナリーツアーの流れを多く引き寄せることに結びつきました。

ワイナリーは毎年、その表情を微妙に変えます。
季節によってもその表情は実に様々です。
何度訪れても決して飽きることがないというのが、オカナガン地方のワイナリーの魅力なのです。





 <第213話> まだまだ知られないケロ ウナ

カナダ国内でケロウナという町の人気は 非常に高く、各 地からケロウナに引っ越してくるカナダ人の流れは今もって止みません。
カナダのみならず、アメリカやヨーロッパからも多くの人たちが移住をしたり、別荘をケロウナに持つという流れも同様です。
しかしながら、日本では未だにケロウナは知られていません。

1999年にカナダに移住し、ケロウナで生活をスタートした私は、このケロウナの魅力を日本の方々に伝えるべく、ありとあらゆることをしてきました。

とは言え、私のような個人ができることは限られています。
例えば、テレビや雑誌などに取り上げてもらうというようなことについては、莫大な広告費が掛かりますから、それは無理な話です。

必然的にネットに頼る以外に手立てがありませんでした。
自力でホームページを作成し、日本からケロウナに来てくださるお客さんを独自に誘致することと、この産地のワインを日本に輸出し、ワインを通してケロウナ の存在を知ってもらうこと、そうした仕事に集中していました。
それは今現在も全く変わっていません。

年間に少なくて2回、多い年は4回、5回の日本出張をする中で、各地で出会う方々に、ケロウナをアピールし続けていますけれども、

「ケロウナ?」
「聞いた事がありません」

という声が圧倒的多数です。

しかし、それに対して否定的な意見はこれまでに一度もありませんでした。

「ケロウナ? いや、、、聞いた事はないですし、行った事もないのですが、、、
でも、きっとキレイな所なのでしょうね。是非、いつか行ってみたいです」

というような肯定的なご意見を頂いております。

これは一重に、カナダという国の魅力が前提にあるからだろうと思います。
バンクーバーや、ナイアガラの滝、ロッキーなどなど、カナダの風光明媚な観光地を体験された日本の方々は、おしなべてカナダという国に対するイメージを良 いものとして受け止めて下さっています。

たまたまケロウナという町を知らないだけのことです。
また、ケロウナに住んでいる私が直接、ケロウナについて説明することによって、そこに信頼性や信憑性が増して来るのだろうと思います。

日本でお会いする方々は、皆さんケロウナに強い関心を示して下さいます。
そうした方々が、実際にケロウナにお越し下さった場合、私としてはその期待を裏切ることは許されません。
皆さん、大切な時間や旅費をかけて来てくださるから当然のことです。

それは心地よいプレッシャーとなって、こうした仕事のエネルギーになってくれます。

これからも、ケロウナの魅力、素晴らしさを色々な方法で日本の皆様にお伝えして行く事が私の使命なのだろうな、、、と勝手に受け止めています。





 <第214話> あれれ? 物価がどんど ん上がって行く(前編)

日本は物価が高い!
海外は物価が安い!

というイメージを未だに抱いている日本人も多いと思います。
この文章を書いている時点(2016年5月)でのお話をこれから致します。

私は年間に、2〜4回ほど日本に出張します。
日本滞在期間中に、実に多くの皆様とお会いさせて頂いていますが、お会いする方々の口から以下のような言葉が発せられることが度々あります。

「カナダは物価が安いのでしょうねえ。日本はとにかく物価が高くて大変です。物価の安いカナダで暮らしている滝澤さんが羨ましいです」

と。

私は返答に窮します。そして、正直な気持ちを以下のようにお伝えするのです。

「カナダの物価が安いと感じられていた時代もありました。でも、それは昔のことです。今のカナダの物価はとても高くなり、日本よりも遥かに高いのです」

私が発した返答に対して、「まさか?」と疑う方が大多数です。
カナダから日本に出張した私にお会いされる方々は、皆さんカナダが好きな方たちですから、過去にカナダに旅行をされた経験を持つ人が大多数です。

旅行でカナダに訪れた際に、カナダの現地の物価を体験したことが、そのまま頭に残っているのでしょう。

しかし、時代は残酷に切り替わって行きました。
確かにカナダの物価が安いと感じられていた時期もありました。
私たちがカナダに移住した1999年当初は、本当に物価が安く感じられ、スーパーで何を買っても、おしなべて日本の半分程度でしたし、モノによってはそれ 以下でした。

カナダと日本の物価を比較する場合、1カナダドルを100円として換算すると分かりやすく、また、この為替レートが実体経済と適合したレートになると思い ます。

1999年、私たちがカナダに移住した当時、ガソリンは1リットルで45円ほどでした。
これだけでも日本の半分以下ということになります。
しかし、2006年頃から原油価格の上昇に伴い、ガソリン価格が急上昇し続け、あっという間に100円を超え、120〜130円という価格帯に高止まりし たままになっています。

食料品も同様です。原油価格の上昇は食料生産コストを押し上げますから、スーパーで購入する食料品もどんどん価格が上昇して行きました。

私たちが新婚旅行でカナダを訪れた1995年は、歴史的な円高に遭遇したタイミングでした。
1アメリカドルが80円を上回り、1カナダドルは60円でした。
また、その時のカナダの物価は日本よりもかなり安く、しかも1カナダドル60円ですから、円換算した場合、日本の物価の3分の1くらいに感じたものです。

ただし、これは一時的なことにしか過ぎません。
上述の通り、2006年の原油価格上昇が引き金になったことで、いわゆる生活物価がどんどん上昇し続け、そのまま今に至っています。

2006年と言えば、ちょうど10年前になります。

「あれ? また高くなったよなあ、、、、」

そんな会話が日常的に聞かれるようになったのが、この2006年でした。





 <第215話> あれれ? 物価がどんど ん上がって行く(中編)

オートラリアのブリスベンに住んでいる 友人からのメー ルでは、オーストラリアの物価高は尋常じゃないレベルに達しているとのことです。
彼はもう20年以上前にオーストラリアに移住しましたが、当初はオーストラリアの物価の安さに大満足していました。
その潮目が変わったのは、やはり2006年ごろでした。
このころから、世界はインフレに転じ、消費物価は上昇の一途をたどって行きました。

しかし、唯一、逆行していた国がありました。
それが日本です。

よくテレビでご覧になったことがあると思いますが、価格を抑えるために、納豆の容量を5グラム減らしたとか、チクワの長さを3ミリ短くした、というような 話があります。

日本も世界的な原材料価格の高騰を受けているのですが、一般小売り価格の上昇を抑えるために、こうした涙ぐましい企業努力がなされています。
また、さらにこうした価格抑制の流れは勢いを増し、従業員の賃金を圧迫することで製造コストが上がらないようにしていることも日本だけの悲しい特徴です。

諸外国はそうではありません。
元の原材料価格の高騰を抑えるために、労働者の賃金を圧迫させるようなことは各種の労働法で禁じられています。
従って、原材料価格の高騰はそのまま小売価格を押し上げるため、一般消費価格がどんどんと値上がっていく結果を産み出したのです。

「内外価格差」

という経済用語があります。
日本の物価と海外の物価の価格差を意味する言葉です。

今から15年以上前でしたら、この内外価格差において、間違いなく日本の物価が高く感じられていました。
しかし、2006年頃には、その価格差が無くなり均衡化しました。
つまり、日本の物価と海外の物価の差が感じられなくなったといことです。

さらに、そこから逆転現象が起こり、現在では日本の物価の方が圧倒的に安いのです。
これは、海外から日本に行くと如実に感じられます。

私はいつも日本に行くたびに、
「日本の物価は安いなあ、、、」と感じずにはいられません。

今年(2016年)の3月のことです。
東京の浅草で友人夫婦と私の3名でランチを共にしました。
いつもお世話になっているご夫妻でしたので、支払いは私が済ませたのですが、3名の合計金額が2700円でした。

思わずレジの係員に確認しました。
「これは3名全員分ですか?」と。

1人分が900円ということですが、ランチメニューの内容からすれば、バンクーバーだったら、チップと消費税を入れれば1人分で2700円ほどのレベルで す。
ちょっとした外食ですと、もはや日本はカナダの半額以下というレベルなのです。

毎年、日本から海外へ旅行をしている方でしたら、年々、海外の物価が高くなっていることに気がつくはずです。
しかし、10年とか15年以上も海外旅行から遠ざかっている方の場合は、その当時の海外の物価の安さが記憶されていることでしょうから、にわかには信じら れないと思われるでしょうけれども、それくらい世の中は変わってしまったということなのです。





 <第216話> あれれ? 物価がどんど ん上がって行く(後編)


「デフレ脱却」は、現在の安倍政権が掲げる命題となっています。
これは当然の政治課題だと思います。
しかし、おそらくほとんどの日本国民は、その真意を理解していないと思います。

端的に言いますと、物価は高いよりも安い方が良いのではないか?
という疑問を感じてしまうからでしょう。
これに対する政治家やテレビに出ている識者やコメンテーターは、おしなべて同じ説明をしています。

物価が上がれば、企業収益が上がり、その結果、従業員の賃金が上がる。
給料を上げるためには、緩やかなインフレが必要なのだと言います。
日本は長らくその反対でした。
企業業績が悪化したため、販売不振から脱するには価格を下げるしか無く、その結果、企業の売上も利益も減少してしまった結果、やもう得ず従業員の賃金も減 らさざるを得ない。
いわゆるデフレスパイラルという経済現象です。

これらの説明は確かに正しいのですが、肝心な視点が抜けています。
日本で発せられているテレビや新聞の「デフレ脱却」の説明は、全て日本国内しか見ていない内向きの内容なのです。
つまり、日本が良くなるためにはという前提の元、日本国内の事象だけを取り上げ、比較し、討論し、説明を繰り返しています。
従って、日本に住んでいる人たちには「海外事情との比較」という思考判断の要素が抜けてしまっています。


あれれ? 物価がどんどん上がって行く(前編)2016年5月27日
あれれ? 物価がどんどん上がって行く(中編)2016年6月  6日


でお伝えしました通り、その国の物価を高いのか?安いのか?を判断する場合、自国の中だけで論議するだけですと、どこからが安いのか?どこからが高いの か?の境界線が見えなくなります。

今の日本は、物価の高い安いの判断が曖昧で、政治家や識者、コメンテーターは難しい数字を並べるだけに終始するので、国民に伝わりません。
国民も日本国内だけの、もっと言えば自分の生活圏内の身の回りのことだけしか見ようとしないので、ただ「何となく高く感じる」、「何となく安いと思う」と 安易に判断していると思います。

まず基本的な前提として日本人が理解するべきポイントがあります。
それは「日本は世界屈指の経済大国であり超大国である」ということです。

・日本は小さな島国です
・GDPは中国に抜かれ3位に脱落しました
・日本は不景気で先行き不安な国です
・日本は国の借金が1200兆円を超えて破綻寸前です

というように思っている人は、よっぽど勉強していないか? まったく世界を見ていないか? あるいはテレビや新聞が流す情報を鵜呑みにしているか?のいず れかです。

国連に加盟している国は約200カ国ほどです。
ウィキペディアで、200カ国全部を調べて比較してみると良く分かります。
日本が世界の中でいかに超大国であるかが理解できますし、「日本って凄い国なんだ」と実感できます。

表現に誤解があることを承知で書きますが、世界の国家の中で日本は経済的にも産業技術的にも超優等生です。
これに並ぶ国々というのが、いわゆる西側先進諸国です。
アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、カナダ、オーストラリアなどです。
さらに言えば、同じ超優等生の国々の物価は、大きな為替変動を除いて考えた場合、基本的に1対1でなければ国家間の経済活動のバランスが保てなくなりま す。

ここから先の説明を書き出すとあまりにも文字数が多くなり過ぎますので止めますが、2006年以降、世界の消費者物価が上昇しているわけですから、日本も 平行して物価が同じ頻度、速度で上がって行かなければ本来はおかしな話です。
変化の起点が2006年として考えるなら、今年で10年目を迎えています。

カナダの物価はどんどん高くなったなあ、、、
日本の物価は安いなあ、、、

という肌感覚から、世界を見つめてみますと、実に様々な変化に気がつく事ができます。





 <第217話> 高校生の引率依頼

2006年の冬のことでした。
以前、お会いした事があった留学エージェントからメールを頂きました。
そのメールには、とても細かい事情説明と依頼内容の相談が書かれていました。

日本のある女子高校が毎年バンクーバーで約3週間に渡る語学研修旅行を行なっているのだそうですが、年々バンクーバーでの実施が難しくなってきていること から、この高校の語学研修旅行の滞在地をバンクーバーからケロウナに移したいということでした。

確かに、ホームステイの環境としてはバンクーバーは、もはや理想的な環境ではないことは業界内で良く聞かれる話です。
英語学校はバンクーバーのダウンタウンにありますが、生徒さんが滞在するホームステイは、バンクーバーの郊外に分散してしまいます。

毎朝、生徒さんたちは自力で市バスを乗り継ぎ、学校があるダウンタウンに通学するわけですが、乗り換え無しで行けることは稀であり、何度か乗り換えをしな ければならない場合もあります。
また、バンクーバーのホームステイ先は、何かとトラブルが多く、ホームステイとは名ばかりの単なる部屋貸しというご家庭が多く、一般的にイメージするよう なアットホームな感じとは縁遠いところが大多数です。

これは都市部特有の現象ですが、その傾向が年々高まって来ていることから、思い切ってこの女子校の語学研修旅行の滞在先をケロウナに移したいという計画が あるのだそうです。

ところが、ここで問題が発生したそうです。
この留学エージェントはバンクーバーに所在していますので、バンクーバーであれば生徒さんたちのケアを行なうことができます。しかし、バンクーバーから 450km離れたケロウナでは、土地勘が無いこともあり、自社のスタッフでは対応出来ないということから、ケロウナ在住者で対応できる人物を検討した結 果、私に白羽の矢を立ててくれたということでした。

相談のメールを下さった留学エージェントの方は、私の履歴を良く覚えていて下さっておりました。

「どうして私に白羽の矢を立てたのですか?」

とお聞きしましたら、その方は迷わず以下のことを返答してくれました。

・日本体育大学の出身であること
・教員免許を持っていること

その方は、高校時代の担任が体育の先生だったそうで、日本体育大学の出身だったそうです。
日本体育大学=体育の先生というイメージが強烈にあったそうで、私を指名した理由はそのイメージによるものでした。

確かに私も大学時代は教職課程を修了し、体育教師の教員免許を持っていますので、その方が私を指名された理由は良く分かります。
しかし、この依頼は現地ケロウナでの引率業務ですから、先生と生徒という関係ではありません。
当たり前ですが、業務委託を受けた私は、生徒さんたちをお客さんとして迎え、接しなければなりません。

こうした場合、私には曲げられない考え方がありましたが、果たしてそれを留学エージェントが理解してくれるか?という懸念がありました。
私の考えを説明するにあたり、メールよりも電話で直接話した方が良いということで、バンクーバーのその方に早速電話をかけたのでした。





 <第218話> 留学エージェントと電話 で話す

依頼を受けた私は、さっそくバンクー バーの留学エー ジェントに電話をしました。
何度もメールでやり取りをしていたので、会話はスムーズでした。

予定では25名の高校2年生が3週間のケロウナ語学ホームステイを実施することに
決まっていました。生徒さんが通う学校もひとりひとりのホームステイ先も既に決定しています。

私が依頼された業務は、生徒さんたちがケロウナに滞在している間の引率業務で、
つまりは緊急時の対応を兼ねた見回り役です。

いつの時代も高校生というのは、良いにつけ悪きにつけ、大人と対等に接する中で、
平たく言えば「ナメてかかる」という態度をする場合があります。
これは私自身が高校生だった当時を振り返っても、恥ずかしくなるくらい小生意気だったことを
思えば、今も昔も同じだと思います。

3週間に渡り、初めて訪れ滞在する場所が海外の地となりますと、日本と勝手が違うことが
実にたくさんあることは言うまでもありません。

いくらカナダの治安が優れているとは言っても油断は禁物ですし、万が一のことが起こってからでは
取り返しがつきません。私はその点を細かく留学エージェントに説明しました。
もちろん先方も強く納得してくれました。

では、具体的にどうするのか?
具体的にどのような対応をするのか?

そのことについて、私はさらに込み入った内容を電話の向こうにいる担当者に話しました。

全3週間の滞在日程を1週間ずつ3つのクールに分けます。
3つのクール毎に私の対応を変えて行くというものです。

「うっ、、、、」

電話の向こうで担当者の反応が一瞬、固まったことが雰囲気から察せられました。

私が示した提案は、担当者にとってみれば以外な内容だったのでしょう。
しかし、すぐに快諾をしてくれました。

「そうですね、その方が良いですね。滝澤さんにお任せします」


私が示した提案は、言ってみればこの業務を引き受けるに当たっての業務内容に関する条件でした。
後々になって、高校生や学校側、留学エージェントからクレームを受けないために、
前もってこちらの対応のスタイルについて明確にしたわけです。

その条件とは、、、
それは次のトピックでお話いたします。





 <第219話> 短期語学研修の高校生を 迎えるにあたって

さて、私がバンクーバーの留学エージェ ントに示した条 件というのはどんな内容だったのか?
最初に留学エージェントが言われたことは、お客様なので十分に気をつけて対応して欲しい、というものでした。

留学エージェントとしては、3週間の長期間に渡る団体さんですから、とても重要なお客さんになりますが、失礼があってはならないと考えるのは至極当然のこ とです。しかし、私はこれに少々意見をしました。

失礼が無いように丁重に接するという意味を間違えないでくださいね、という事です。
お客さんに対して、ぺこぺこする事があたかも正しい接客だと勘違いしている業者が多いので、私は真っ先にそのことを留学エージェントの担当者に説明し理解 を求めたのでした。

もっとも重要視することは何か?
私を含めた現地の業者側がお客さんのご機嫌を損ねないようにぺこぺこすることではなく、今回のケースは高校2年生の女性とが30名ほどとなりますから、事 故やケガ、トラブルに巻き込まれないようにして、元気に快適にカナダでの3週間に渡るホームステイと語学研修を行なってもらい、そしてカナダで様々に経験 を積んで無事に帰国してもらうということです。

では具体的にどのように接するか?と言いますと、簡単に言えば

「ナメられないようにする」

ということであり、そのためには、

「このオジさん、ひょっとして怒らせたら怖いかも?」

という雰囲気を持たせることが大事です。

そうなると、ちょっとした勇気が必要になります。それは高校生たちに好かれようとか、人気者になろうなどとは間違っても思わないことです。
むしろ嫌われ役なり、口やかましくいるくらいで無ければダメなのです。もちろん、怒鳴ったり怒ったりというような態度はしてはなりません。
あくまでも自然体でありながら、

「このオジさん、ひょっとして怒らせたら怖いかも?」

という印象を与えなければなりません。

そうすると、どうなるか?
滞在中に、いろいろな場面で連絡、お知らせ、注意事項をお伝えする場面がありますが、添乗員やガイドが高校生にナメられているとどうなるでしょうか?

「皆さーーーん、聞いてくださーーーい! 大切なお知らせをしますから!」

といくら大声で叫んでも、30名の団体の女子高校生が集中して話を聞くわけがありません。皆、ぺちゃくちゃとおしゃべりをして誰も聞いていないだろうこと は容易に想像ができます。大切なお知らせ、連絡、注意事項を聞き漏らしたまま、滞在スケジュールが進む中で、必ずトラブルが発生します。トラブルが起こっ てからでは遅いのです。自体が深刻なものであれば、取り返しのつかないことになる恐れもあります。

現地責任者を引き受けるということは、こうした責任を背負う覚悟が必要です。そのためには、生徒さんたちから好かれようとか、嫌われたくないとか、人気者 になろう、などとは間違っても考えてはダメなのです。

皆さんも高校時代を思い出してみてください。怖い体育の先生が1人や2人いたはずです。滅多なことでは怒らないけれども、怒らせたら怖い
というイメージが学校の中にあったはずです。これは極端な例ですが、分かりやすく説明するとこういうことなのです。

全ての説明を聞き終えたバンクーバーの留学エージェントの担当者は、

「分かりました。滝澤さんにお任せします!」

とおっしゃって下さり、かくしてこの女子高校生のケロウナ語学研修旅行を担当することになったのです。





 <第220話> 短期語学留学の高校生を迎える前日

2006年7月。バンクーバー。
鹿児島県の私立女子高校。
引率教諭1名と約30名の高校2年生のカナダ語学研修の全行程は、請負の旅行会社が担っています。
私はそのスケジュールに従って対応をすることになっていました。

生徒さん一行が到着する前日に、私は指示通りケロウナから空路でバンクーバーに移動しました。
バンクーバーにある日系の旅行会社のオフィスに伺い、詳しい行程やスケジュールの確認を行い、この時点で全ての準備が整ったことになります。

この後は、よほどのトラブルが無い限りは、一行をバンクーバーからケロウナへ移動させ、ケロウナで3週間の語学研修がスタートする運びとなります。
ちなみに、「よほどのトラブル」というのは、生徒さんが急病になった場合であるとか、政治的動乱、テロ、地震などの天変地異、公的機関のストライキが挙げ られます。
これらをリスクと仮定しますと、確かにカナダはこうしたリスクが低い国だと言えます。

さて、旅行会社のオフィスで打ち合わせを終えた後の私は、バンクーバーでの自由行動を楽しむだけとなりました。
普段、ずっとケロウナで暮らしていますので、同じBC州内でありながら、バンクーバーとケロウナの距離は、東京〜京都くらいの距離間です。
しかも、日本の新幹線のような快適な公的移動手段もありませんから、よほどの事が無い限り、ケロウナからバンクーバーに行くことが無い生活でしたので、私 は久しぶりのバンクーバーを楽しむことに決めていました。

7月上旬のこの時期は、1年の中で最も天候が安定してる時期ですし、初夏とは言えバンクーバーの日差しはケロウナの日差しとは全く違い、優しく穏やかで す。

この日、宿泊する安ホテルはダウンタウンの中でしたので、ホテルにチェックインした後は、バンクーバーのダウンタウンを
ひたすら歩き続けました。

1991年にワーキングホリデーでカナダに来た当時、合計すると2ヶ月ほどバンクーバーにいましたので、おおよその土地勘はありましたから、懐かしさも相 まり、ダウンタウンの中を歩き続けました。

この時、単純に感じたことは、、、

「まるで外国に来たようだなあ、、、」

というものでした。
同じカナダですし、しかも同じBC州内でありながら、まったく感じる風情が違うのです。
ケロウナはワイナリーを中心にしたレイクリゾートの町です。
人口もそこそこある町で決して田舎ではありません。

ですが、はやりバンクーバーとなると都市としての規模が異なります。
ダウンタウンの中は高層のビルやコンドミニアムが林立し、行き交う車の量も違います。
当然、人の波も多く、場所によっては人をよけながら歩くことになります。
通りに面したお店も個性豊かで数が多い。

7月のこの時期は夜9時を過ぎてもまだ明るいほどですから、私は飽きること無く、バンクーバーのダウンタウンを歩き続けたのでした。





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