【ケロウナ@カナダ】 カナ ダ人が将来 住みたい憧れの町で・・・
ゴルフとワインを楽しみながら・・・
じっくりと人生を見直しませんか


  

   

   

  

  

滝澤のカナダ移住&起業への道のり


 <第231話> 夏のレイクルイーズ

2006年7月。
鹿児島県の私立女子高校の約30名の生徒さんたちを引率して1泊2日の
バンフ小旅行の2日目は、大急ぎで朝食を済ませバスに乗車です。

なにしろバンフからバスでケロウナまで片道8時間かかりますから、
まさに分刻みのスケジュールです。
生徒さんたちはバスの車窓から離れゆくバンフの小さな町並みを名残惜しそうに眺めながら、

「また絶対にここに来たい!」

と口々に叫んでいました。
確かにバンフは世界中の人々を惹きつける魅力溢れる山岳リゾートですから当然です。
しかし、約40分後には生徒さんたちは更に驚きに感動に包まれたのです。

レイクルイーズ

カナディアンロッキーを代表する湖です。
数あるカナディアンロッキーの美しい湖の中で、もっとも有名な湖がこのレイクルイースです。
私もこれまで何度かカナディアンロッキーを訪れ、たくさんの湖を見てきましたが、
モレーンレイクとレイクルイーズが一番キレイだと思います。

カナディアンロッキーの湖は侵食された氷河の微粒子が湖に溶け込み、太陽光に乱反射を起こす
ことにより、湖の色がコバルトブルーなどのパステルカラーに染められる特徴があります。
その色々は実に様々ですが、このレイクルイーズは白乳色に近い色合いで多くの人々とを魅了しています。

高校生たちも例外ではありませんでした。
きっと歓声が湧くだろうな、と思っていたのですが、そんな私の予想を超えるほどの
凄まじい驚きの声が、きゃーきゃーとあちこちから起こりました。
中には我慢できずに湖のほとりまで走り出す生徒も数名いました。

しかし、残念ながら分刻みのスケジュールのため、ここにいられる時間はわずか30分ほど。

湖上に気持ち良さそうに揺られているボートの数は数十隻。
当然、彼女たちの目に入らないわけはありません。

「あのボートに乗りたいです!」

何名かの生徒が私に懇願の目を向けてきました。

「残念! 時間がないからボートには乗れないよ」
「えーーーー! ちょっとだけでもダメですか???」

彼女たちの粘り強い努力も奮闘むなしく私に全て却下されてしまいました。
そしてすぐさまバスに戻らなければならない彼女たちは、文字通り後ろ髪をひかれるかのように
何度も振り返っては初夏の日差しで美しい色合いを出し続けているレイクルイーズを見続けていました。

バス乗車。
10分ほどであらかじめ指定されていたレストランに到着です。
早めの昼食のため、ここでステーキランチをほうばった後、ふたたびバスに乗車し、
一路ケロウナに向かう帰路となりました。

たった1泊2日のカナディアンロッキーの旅でしたが、
間違いなく生徒さんたちに強烈な印象を残す旅になったことは間違いありません。

カナダに住む日本人のひとりとして、このようにカナダの魅力を感じて頂けたということは
素直に嬉しいことです。
今後も、この生徒さんたちのようにたくさんの日本の方々に、できるだけ若い時期に
カナダの魅力に触れてもらいたいと思いつつ、そんなことを考えながらケロウナに戻る
バスの中であれこれと考えるのでした。





 <第232話> ケロウナから鹿児島へ

2006年7月。
鹿児島県の私立女子高校の皆さんが楽しんだケロウナと別れる日がやってきました。
3週間に渡る夏のケロウナを楽しんだわけですが、ひとりひとりに強烈な思い出、経験としてケロウナという街の存在が頭に、心の中に残ったことでしょう。

1週間目は何もかも初めてのことばかりでした。
ホームステイ、学校、毎日通うバスでの通学、英語の授業などなど。
きっとドキドキ、ハラハラの毎日だったはずです。

2週間目に入ると、

「あれ?何かうまくやれそうだ!」

という感覚を得てきたはずです。
積極的な生徒さんはスタバで飲み物を注文したり、学校帰りにショッピングモールに立ち寄るなど、日々の行動範囲を広げていきます。

3週間目になると、すっかり水を得た魚のようにケロウナを楽しみはじめていました。
しかしながら、帰国日は残酷なまでに迫ってきていました。

そしてその帰国日がとうとう訪れたのです。

早朝7時に通い慣れた学校前に集合しました。
生徒さんたちは、それぞれのホストファミリーに車で学校へ送られてきました。
バンクーバーへ向かう大型バスがすでに待機していました。

私はバスの運転手と出発時間、バンクーバーまでの行程、休憩場所の確認などをし、
到着した生徒さんのスーツケースをバスに積み込みはじめました。
その間、別れを惜しむようにそれぞれの生徒さんとホストファミリーが最後の時を迎えていました。

ケロウナのホストファミリーは裕福なご家庭が多いことから、生徒さんたちもとても大事に対応してもらっていたこともあり、すべての生徒さんたちが文字通り カナダのお父さんお母さんと別れを惜しむように、大粒の涙をこぼしていました。

残酷なまでに出発時間は迫ってきます。
すべての生徒さんがバスに乗車すると、無常なまでにバスは動き始めました。
バスの中は大泣きする生徒さんたちの嗚咽で溢れ、かなり異様な光景だったことを今でも思い出します。

夏の快晴のケロウナ。
ダウンタウンからオカナガン湖の橋を渡るとき、両側に青く輝く湖面が見渡せます。

「またケロウナに戻ってきたい!」

あちこちから、似たような声が続々飛び出しました。
その声を残すかのようにバスは順調に、そしてためらいを振り切るかのようにハイウェイに入りました。
ここから約6時間の行程でバスは一路、バンクーバーへ向かったのです。





 <第233話> カナダ最後の夜のバンクーバー

2006年7月。
鹿児島県の私立女子高校の皆さんを乗せたバスは順調にバンクーバーに走り続けました。
途中2度の休憩を取りながら、心配された体調不良に陥る生徒さんもおらず、私は車中で安堵の思いでいっぱいでした。

あと1泊だけだ、、、

生徒さんたちは、この日の夜はバンクーバー市内のホテルに泊まり、翌日のフライトで帰国するスケジュールでした。
文字通り、最終段階に入ったわけです。

7月のカナダの日差しは強く、そして太陽はいつまで経っても姿を消すことはありませんでした。
生徒産たちが宿泊するホテルに到着したのは午後3時頃でした。
それぞれがスーツケースを自分の部屋に運び、身支度を整えた後、再びロビーに集合しました。

高校生たちが危険な目に合うことは絶対に避けなければなりません。
安全で平和に包まれたケロウナと違い、今いる場所はバンクーバーのダウンタウンのど真ん中です。
世界的に治安が良いとされるカナダですが、しかし、全くの無防備なままこの都会の中に
生徒さんたちを放つわけにはいきません。

私はあらかじめ人数分を用意したバンクーバー市内の地図を一人一人に配りました。
ホテルの場所にはすでに赤丸を付けておきました。

まずは全員でホテルからダウンタウンの真ん中に向かって歩き始めました。
先頭を歩くのは私。最後尾には引率の先生。
その間に生徒さんたちが挟まれるように、なんとなく一列になりながらビルとビルに囲まれた
バンクーバーのダウンタウンの中心部に向かったのでした。

ロブソンストリート。
バンクーバーで一番人気がある通りです。
有名ブランドショップやおしゃれなカフェやレストラン、実に様々なお店が通りの両側に連なっています。
ここでもバンフのときと同じように、集合場所を決め、必ず複数で行動することを守らせた上で、自由行動のスタートとなりました。

約3週間のケロウナでのホームステイ、毎日の英語の勉強の成果なのか? 自信なのか?
生徒産たちは一斉に羽ばたくように散らばって行きました。
誰一人として不安そうな表情はありません。
良くも悪くも、海外の地で自信をつけたことは確かなようでした。

私は待ち合わせ場所に指定したスターバックスの外に設置された椅子に座り、この後の夕食のスケジュールを見直しながら、夕食後の時間をどうするか?を思案 していました。




 <第234話> バンクーバーで見上げた花火

2006年7月。
鹿児島県の私立女子高校の皆さんのカナダ最後の夜となりました。
あらかじめ旅行会社から指定予約されていたレストランにホテルから徒歩で向かいました。

高校生くらいの年頃ですと、食べることよりも外に出たがる傾向が強く、女子生徒の場合はとくにショッピングに目がありません。
たどたどしくも、それなりに自信をつけたであろう英会話を武器に店員さんとのやりとりや、レジでお金を払う、おつりをもらう、という一連の作業に嬉しさを 覚え自信を深めるからでしょう。

したがって、あらかじめ決められた料理が出てくるだけで座っているだけの夕食のレストランは、彼女たちにとって退屈であり、もったいない時間の過ごし方な のだろうと思います。
これが大人と高校生の大きな違いです。

まるで争奪戦のように、出された中華料理を猛スピードで食べ始めました。
それはお腹が空いていたからではなく、とっとと食事を終わりにし、最後のカナダの夜を散策したい、という思いであることは容易に見て取れました。

夏のカナダは日が長く、特に7月のバンクーバーは夜10時過ぎでも西の空がまだ明るい季節です。
とは言え、女子高校生を無防備に夜のバンクーバーの街に放つわけにはいきません。

引率の先生と相談の上、全員が一緒に行動することにしました。
引率の先頭に私が、最後尾に高校の引率の先生が、その間に女子生徒産たちが挟まるようにして、私たちの列はイングリッシュベイに向かって歩き出しました。

この日、このイングリッシュベイで花火大会があったのでした。
あたりは見る見るうちに人の波でおおわれていきました。
迷子が出ないよう、はぐれる生徒が出ないよう、注意しながらの花火見物の始まりとなりました。




 <第235話> バンクーバー空港でのお別れ

2006年7月。
バンクーバー国際空港。約3週間に渡るカナダでの語学ホームステイの研修旅行が終わり、
彼女たちは帰国することになりました。
どの顔も生き生きと充実していました。

3週間前、カナダに到着したときは、どの顔も期待と不安が交錯し、
差し引きすると不安の方が大きいという表情で溢れていました。
しかし、今は自信に満ちた表情にどの顔も変わっていました。

「日本に戻りたくないーー」
「もっとカナダにいたいーー」
「また絶対にカナダに戻ってきたいーー」

だれか一人が叫ぶと、それに呼応するかのように全員が口々にそう叫び始めました。
周りにいた他の人たちがびっくりしながらも、そんな彼女たちの様子を笑顔で見つめていました。

カナダに来ると、よっぽど嫌な経験をしない限りはカナダのことが好きになります。
カナダに住む立場としては、そのことがとても嬉しく誇らしくも感じます。

鹿児島から同行されていた先生が私に向かって、

「滝澤さんから生徒たちに最後の言葉をお願いします」
とのことでしたので、私は改めて生徒さんたちに向かい合いました。

「みなさん、カナダは楽しかったですか?」
その問いかけに対して、全員が大声で大きく頷きました。

私はさらに話を続けました。

「みなさんが楽しかったと思うカナダでの出来事は、たぶんすぐに忘れます。
半年経てばすっかり忘れるでしょう」

生徒さんたちは、キョトンとした顔に変わりました。
私はさらに続けました。

「海外での楽しかった思い出なんか時間が経てばすぐに忘れます。
でも皆さんが経験した不安なこと、失敗したこと、辛かったこと、そういうことは一生忘れません。
ホームステイ先のファミリーと最初はうまく会話ができなかったときのこと、バスに乗れるかどうか不安だったこと、学校の授業でドキドキしたこと、そういう ことの全てがみなさんの思い出になります。
だからこれからもたくさん失敗してください。
海外で危険なことは避けなければなりませんが、あとあと思い出に残るような失敗は必ず宝物になりますから」


そして、国際線登場ゲートに向かい、私はここで生徒さんたちとお別れとなりました。
彼女たちもカナダで素晴らしい経験をされたことでしょうけれども、
私もまたいい経験をさせてもらいました。

これがご縁となり、この鹿児島の女子高校の他に名古屋の高校からも同様の現地引率責任者としての依頼を
いただくことになりました。
カナダに移住する前には、まさかこうした仕事を依頼されるとは思ってもいませんでしたから、つくずく人生の不思議さを感じます。





 <第236話> ビッグホワイト・スキーリゾート

2007年1月。
ケロウナ市内から車で1時間ほどのところに巨大なスキーリゾートがあります。

ビッグホワイト

というオーストラリアの会社が運営している巨大なスキーリゾートです。
ここが冬の間に私が楽しむ場所です。

長野県生まれの私は3歳からスキーを始めました。
ちゃんちゃんこを着てスキーを履いて志賀高原熊の湯スキー場で初めて雪上に立っている
写真が今でも実家のアルバムに残っています。
また不思議なもので、3歳だった当時の私のあの恐怖感は今でも記憶に残っています。

当時、毎年冬になると週末は必ずスキーに行っていました。
近所の知り合いが必ず連れて行ってくれたのですが、今思えば本当に恵まれたスキー環境だったと思います。

小中学校のころは徹底して野球とスキーに打ち込んでいましたから、
スキーの上達はとてもスピーディーでした。

大学時代には志賀高原のスキースクールに所属し、インストラクターの資格を取り、
体力的にも技術的にもスキーには絶対の自信を持っていました。

そんな私の前に登場したのが、ビッグホワイトというカナダサイズのスキーリゾートでした。
私はカナダに移住した2年目に初めてビッグホワイトの雪上に立ちました。

その時の私は、しょせんはスキーだろ!
みたいな感じで完全に舐めてかかっていました。

1日あれば全てのコースを滑り尽くせるだろうし、
お茶の子さいさいだろう、という安易なイメージを抱いていたのでした。
そんな私の安易なイメージは、初日で木っ端微塵になることも知らずに。

日本では味わえないダイナミックなカナダのスキー場は、
一歩間違えると生死に関わるリスクがあります。
事実、このビッグホワイトでも、悪い年には死亡者が出てしまうこともあります。

スキーをしながら、「ひょっとして死ぬかも?」という恐怖を感じたことは
日本ではありませんでした。

そんなビッグホワイト・スキーリゾートでのお話をはじめたいと思います。





 <第237話> 残された残像

2007年1月。
ビッグホワイト・スキーリゾート。

日本のスキー場と大きく異なる点は、整地されたゲレンデ以外の場所も全て滑走可能という点です。
日本のスキー場は、

・リフトの真下
・林、森林の中

は滑走禁止です。予め事故を防ぐことが目的で、間違ってこうした滑走禁止区域を滑ると、パトロールに捕まり、リフト券を没収されることがあります。
したがって、ほぼ全ての日本人スキーヤーは整地されたゲレンデしか滑った経験がありません。
私もそうでした。

4人乗りクワッドリフトで山頂近くまで上がり、整地されたコースをいつも通りに私は滑り始めました。
適度な斜度やコブはあるものの、私にとってはまったくの許容範囲ですから、何らの問題もなくリフト乗り場まで滑り降りました。

別のリフトに乗り換え、再びコースを滑り降ります。
主だったコースを連続的に滑り降りながら、確かに日本のスキー場に比べれば全体的な滑走距離は長いように感じましたが、それほど極端な違いは感じませんで した。
白馬八方尾根の兎平から最下部の名木山ゲレンデまでの距離と難易度の方がずっと手強いというのがこのときの実感でした。

正直、この時の私は、このビッグホワイトに対して、スキー場としての魅力をあまり感じていなかったと思います。
しかし、それはカナダのスキー場に対して私があまりにも無知であり未経験そのものだった、ということをやがて思い知らされることになるのですが、そのとき の私は全くそのことがわかりませんでした。

やや惰性的になりながら、再びリフトに乗り、山頂近くまで上がりました。
おもむろにゲレンデを滑りだした私の前を行く2名のスキーヤーの姿が視界に入りました。
2名の後ろ姿から、かなりな上級者ということがわかりました。

「よーーーし!」

私は妙な対抗心を燃やしながら、彼らの後ろにピタリとつけました。

次の瞬間でした!
彼らが鋭く右に切り込み、そのまま林の中に突入していきました。

「ええっ!!!」

私は全くの予想外の彼らのコース取りに驚き、彼らが突入していった林の前で立ち止まりました。

「ここを入っていくのか?」

私は呆然としながら、その場に立ち尽くしました。
すでに私の視界から完全に消えていった彼らの残像だけが脳裏に残ったままでした。




 





 





 









Copyrights(c) OGT Canada Enterprise Ltd. All Rights Reserved